訂正
斉藤隆のリリーフ適性を見抜く
2001 横浜 69勝67敗4分 3位
2002 横浜 42勝78敗5分 6位 シーズン途中休養
ワイこの頃が一番辛かったわ
2001年
木塚 69試合 90回2/3
中野渡 63試合 86回1/3
>>5
回跨ぎさせすぎやろ
ワタリは酷使の果てに潰してホントもったいなかったな
金城が明らかにやる気なかった
権藤時代は首位打者取ったのに
2002年は.170とかあったし
>>15
でも仮にやる気がなかったとして
そんな理由で成績残さんとかプロ失格やろ
>>16
やから彼は未完の大器なんやろな
金城は松坂慶子になんかのCMで打率が1割下がったら大変ね~とか言われ
本当に翌年1割下がって草生えたわ
でも森をそんなに責められんで
権藤も大概くそや
>>8
権藤はなにもしなかっただけだから…
>>9
・権藤は特定の選手とばかり食事に行く。
・石井琢朗と「このままじゃダメだ」と権藤に「一致団結しよう」と直訴。
権藤には「一致団結だと?野球は上手いやつが打って投げれば勝てるんだよ!バカもの!」と怒鳴られる
駒田が暴露してたで
>>10
横浜の崩壊には琢朗が好き放題やったから、と言われることも多いけど、必ずしも琢朗ばかりが悪い訳でもないんだよな。
琢朗は規律あるチームを望んでいたものの、練習しない若手も少なくはなかったとか。
そこに権藤のそうした姿勢が拍車をかけていた為、不満があったという部分も大きかったみたいやしな。
まあ琢朗を擁護する訳やないけど。
余計なことして選手のヤル気そぐより
放任した方が良い結果が出たと言う奇跡のチーム
>>11
つっても権藤も最後の方は「ミーティングは一切やらない」と言ってたのに、監督最終年は開きまくって説得しようとしたんやで
でも98メンバーが一枚岩になるわけもなく
年棒の格差もひらきまくってたし
大矢とかいうあのチームの選手たちに奇跡的に好かれた監督
2002年夏にタニマチが茶々入れ始めて森監督擁護派のオーナーを翻意させた。
そっから先走っての通り。
森は今の火ヤク庫並に大味な横浜の野球にメス入れようとして四方八方から嫌われてたんよなぁ。
>>21
これよな
森を叩くときだけTBSの所業を忘れてる
>>22
森がハワイへ移住してるけど、脅しどころではなかったしな。
同情はできんけど気の毒な部分もある
招かれた経緯的に勝たなきゃいかんしもつ鍋屋と木塚の酷使はやむをえなかったのかも知れん
逆に森の功績は、
波留―種田山田
のトレードよな。
最初はは!?ってなったものの、山田は先発中継ぎで活躍したし、種田は言うまでもなく。
逆に波留は故障で使い物にならん状態やったからな。
よく見てるわって思ったわ。
>>26
ベイスターズ史上最高のぼろ儲けトレードやろなぁ
それこそ藤田内村と同じレベル
今思えばフロントから散々援助を受けておいてあれな大ちゃんの方が印象悪い
当時は森よりマシとか金城復活多村覚醒あたりを材料に擁護してた気がするが
>>31
大味な野球に回帰してたくさん点が入るようなまたなったからね。
伝説のフォーメーションもあの時だったし。
今でも擁護のネタになってるのが多村や村田の活躍とか金城復活関係だからね。
森さんは西武時代にやり残した感あったと思うからオファーだけでも嬉しかったんじゃないかね。結果はあまり出てないとは思うが
金城2番固定、鈴木4番固定→それぞれ不振に陥る
谷繁や小宮山と確執を起こし放出
木塚・中野渡を酷使の末潰す
斉藤隆の先発適性を見抜く