良い人そう
ちなみにそのジャガイモはホルマリン漬けにされて保管されている
http://www.baseballreliquary.org/about/collections/dave-bresnahan-potato/
面白すぎやろ
ジャガイモ持っていくくだりギャグやん
全力でネタを披露するチャレンジ精神
ジャガイモ1こ100円もするんか
50ドルの罰金も温情判決やったつもりなんやろうなあ
めっちゃベンチ明るくしそう
調べたらこいつ投手でメジャーデビューして全ポジションを経験して捕手に収まっとるやんけ
何者なんや
>>10
それ親戚やで
自分から才人を捨てていくスタンス
その身を犠牲にして笑を取る芸人の鑑
ちなみにその後デーブ・ブレスナハンは始球式に呼ばれたことがあったが
当然ジャガイモを投げた
ワイもジャガイモ投げたら永久欠番になれる可能性が微レ存
>>5
罰金支払いのときにじゃがいも持ってく勇気がないとNG
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロジャー・ブレスナハン
1897年にワシントン・セネタースから投手としてメジャーデビュー。デビュー戦で6安打完封勝ちを納め、この年6試合に登板して4勝を挙げるが、翌1898年5月にセネタースは彼を解雇。シカゴ・オーファンズを経て1901年にボルチモア・オリオールズと契約した際、当時監督だったジョン・マグローとブランチ・リッキーは、ブレスナハンを捕手にコンバートする。ブレスナハンは当時エースだったジョー・マクギニティら投手陣のまとめ役としてのリーダーシップを発揮するようになった。
1902年に、監督のマグローとともにニューヨーク・ジャイアンツへ移籍。ともに移籍したマクギニティや、クリスティ・マシューソンの女房役として、1904年と1905年のジャイアンツのリーグ二連覇を支えた。1909年にはセントルイス・カージナルスに移籍し選手兼任監督を4年務める。1911年シーズンにカージナルスは優勝争いに加わったが、この年シーズン途中にカージナルスの一行が乗ったフィラデルフィア行きの列車が、12人死亡47人負傷という列車事故に巻き込まれた。チームは幸いにも、出発前に乗る車両を移動していたために重傷者を出さなかったが、ブレスナハンはチームのメンバーに命じて乗客の救助作業を先導する手助けをした。この事故のショックがあったかその後チームは成績が低迷、シーズンを5位で終わることになった。1913年にはシカゴ・カブスに所属し、1915年に現役を引退。
1944年、オハイオ州トレドの自宅で心臓発作のため65歳で死去。翌1945年に、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。捕手としてはバック・ユーイングに次ぐ史上二人目の選出だった。
デーブ・ブレスナハン捕手は、メジャーに昇格するような実力はなかったが、あることで話題になった。
インディアンス傘下の2Aウイリアムスポート・ビルズに所属していた1987年8月31日、この日チームは「ポテト・デー」と銘打ち、
ジャガイモを持ってきた観客には入場料を割り引くサービスを行い、多数の観客を集めたが、その試合中、ブレスナハンは三塁に悪送球。
走者がホームに帰ろうとしたところ、突如タッチ。
レフト線に転がっていった物は実は「ジャガイモ」。もちろんこれは反則で走者はセーフとなったが、スタンドには大受け。
後日監督がブレスナハンに罰金50ドルを命じたところ、50個のジャガイモを持参し、球団はブレスナハンを解雇した。
これには抗議が殺到し球団は後日「ブレスナハン・デイ」を開催して、ブレスナハンの背番号59を永久欠番とした。
そのセレモニーで、「かつてルー・ゲーリッグは、2000試合以上に連続出場して、3割4分以上の打率を残して永久欠番となり、
『自分は世界で一番幸せな男だ』と言いましたが、自分はマイナーで2割ちょっとしか打てず、ポテトを投げただけで永久欠番になったのだから、
世界で一番幸せな男よりも幸せだ」と語ったという