スタメン
西武
8マルーフ9立花 義家7土井 正博D田淵 幸一5山村 善則2野村 克也3ミューサー4金城 致勲6大原 徹也P古沢 憲司
阪急
8福本 豊7簑田 浩二4B マルカーノ3加藤 英司5島谷 金二D高井 保弘9ウイリアムス2中沢 伸二6大橋 穣P山田 久志
ノムだけで他すべて霞むわ
>>5
土井や田淵が霞むわけないだろ
ノムと田淵とか豪華やなあ
1番センター ジャック・マルーフ
新生・西武ライオンズ初の外国人選手として入団。当時30歳。
年間通して.290はこの年チーム首位打者。
ほぼすべての試合で1番センター(レフト)で出場した。
ここまで遡るのか…
山崎裕之はまだ入団してなかったかね?
>>9
1978年のオフに入団したからいると思うで
>>14
サンガツ
この時はたまたまスタメンではなかったんやろね
スタメンに名前あったらより豪華だったのにとふと思った
豪華ンゴねぇ…
2番ライト 立花 義家
クラウンライター時代に10代で3番打者に抜擢され、この語長く西武でいぶし銀の左バッターとして在籍する。
最後だけ暗黒阪神にいた。
福岡時代、指名打者の土井正博は試合が始まっても1回表までは雀荘にいるので
立花がイニングの間に土井を迎えに行った、というネタがある。
もちろん(?)都市伝説。
× この語
○ この後
野村以外言うほどか?
阪急の1~4番ええなぁ
3番ファースト 土井 正博
近鉄~太平洋(クラウン)西武と昭和40~50年代を代表するホームラン打者。
HRキングは僅か1回というのは巡り会わせが悪かったとしか言えない。
田淵遺跡に伴いこのシーズンからはファーストが多くなった模様。
とにかく巡り会わせが悪く、自身が移籍した直後に近鉄は初優勝し
引退した翌年に西武は初優勝。
その後、コーチとして栄華を極めるが何度かタイーホもされる。
この阪急強かった
4番DH 田淵 幸一
堤オーナーが「目玉をとれ」と厳命してまで阪神から獲得したミスタータイガース。
阪神はトレード通達を日付が変わる頃に電話で行い田淵は激昂。
一時期完全に阪神と絶縁する。
もう既に捕手としての出場は少なくなっていた為、パ移籍は幸と出た。
選手寿命的にあのまま阪神にいたら85年には間に合わなかっただろうし、
西武で日本一になれたのは良かったはず。
阪神が交換の目玉に指名した真弓はさすがに西武・根本管理部長も渋ったが
苦渋の選択で放出。真弓は真弓で阪神の名誉生え抜きとして人気者になれたので
それもそれで良かったっぽい。
5番サード 山村 善則
どっちかというと南海のイメージが強い。
正直、サードとしては不満な、特に当時のパは強打のサードが揃っていたので余計にそう見えたっぽい。
82年に片平、黒田と交換で南海へ。
どう見ても西武の得でした。
6番キャッチャー 野村 克也
公私混同で南海を解雇され金田ロッテに移籍したものの、
金やんと合うはずもなく1年で移籍。
このあたりどういう存在だったかは名アニメ「がんばれタブチくん」を見ると分かる。
それでもこのシーズンは9月までほとんどの試合でスタメン出場。
どん底のチームを支えた。
7番ファースト トニー・ミューサー
マルーフと共に入団するもこっちは不振で前期限りで解雇。
引退後はロイヤルズ史上最悪の監督として名を残す。
8番セカンド 金城 致勲
山崎が復帰するまでのセカンド。
新生・西武ライオンズのチーム初ホームラン・打点・エラーを全て記録している。
9番ショート 大原 徹也
典型的控え内野手。石毛が入団するとひとたまりもなく追い出される。
先発ピッチャー 古沢憲司
16歳で高校を中退し阪神にテスト入団。
16歳117日で1軍登板という戦後最年少記録を樹立する。
(恐らく更新不可能)
田淵と一緒に西武に移籍。その後広島に移籍し20年選手となる。
テレビ東京のスポニューで司会もやってたから覚えてる人もいるはず。
2番手ピッチャー 松沼 博久
御存知兄やん。弟より長く現役を続けた。
なぜ兄弟共にドラフト注目選手だったのに兄弟揃ってドラフト外で同じ球団に入れたのかな?
不思議だなー(棒
この試合では1アウトもとれず粉砕されている。
高校中退で入団って今見ると面白いな
囲い込みに使われて今ではふさがれた制度だと思うけど
猫入団時の秋山幸二もそうだったはず
>>28
中卒資格だけあれば誰でもプロ入りできるんでは?
最近(と言ってももう10年前だが)阪神に辻本君っていう15歳の子が入団したやん
育成ではなくきちんと支配下で
3番手ピッチャー 永射 保
未だに「左のアンダースロー」の例で挙げられる変則左腕。
リーやソレイタら左の外国人選手を震えあがらせた。
実はプロ入団が広島。
ライオンズ後が大洋、更に出身地九州に新設されたダイエーに移籍し引退。
代打 長谷川 一夫
記録マニアには有名。
名優・長谷川一夫と同姓同名だがこのおかげで、
稀代のラジオパーソナリティ・伊集院光の番組の元プロデューサーであった永田Pの祖父である
大毎オリオンズオーナーにして大映映画社長である永田雅一が入団させた。
その後オールスター選出もされるほどにまで成長したが77年に
クラウンライター移籍後、あり得ない所で名前が出る。
78年7月11日、日ハム戦でサヨナラ負けのピンチになったクラウンは
左腕投手がいない為野手の長谷川をマウンドに送る。
戦後すぐとかそういう時代でもないのにもはや狂気の沙汰としか言えないが、
初球を日ハム・ロックレアに打たれサヨナラ負け。
結構最近まで西武のスカウトをやってた。2013年死去。
代走 楠城 徹
ヤクルト楠城の父。
楽天スカウト時代に処分くらったことで名前が出た。
わいちなDe、猫さんの不調が他人事に思えない
代打 大田 卓司
「必殺仕事人」
東尾と共に黒い霧事件でどん底に落ちた時代から黄金期までライオンズ一筋で通したクラッチヒッター。
短期決戦に異常なまでに強くプレーオフ、日本シリーズでは暴れまわった。
特に82年中日は大田1人に惨殺されたといっていいレベル。
この試合に出場した西武選手は以上。
阪急も期待!
阪急
1番センター 福本 豊
もはや説明不要のNPB史上最高の盗塁王。
アンタッチャブルレコードの102盗塁をしたのは4年目の72年だが、
むしろ選手として成熟していたのはこのシーズン前後数年のはず。
特に前年78年はパの打席、打数、得点、安打、二塁打、三塁打、盗塁、盗塁死、四球、
全て1位である。
2番レフト 簑田 浩二
守れて、走れて、ホームランを打てるという革命を起こした選手。
しかもイケメン。既婚なのに球団は「独身だということにしてくれ」と頼んだという。
福本、ウイリアムスと鉄壁の外野陣を組む。
この3人は田口、イチロー、本西とも比較されることが多い。
晩年は巨人に移籍し奇跡の3連敗後の4連勝シリーズに貢献する。
3番セカンド ボビー・マルカーノ
メスチーソ、いわゆる欧州人と南米人の混血。
打てるセカンド外国人のはしりみたいな選手。
ヤクルト移籍後は巨人で日本語とスペイン語の通訳として活躍した。
しかし90年、39歳で死去。
この時のウイリアムズって「バーニー・ウイリアムズ」なんだよな
後のヤンキースの主砲と同姓同名だが別人
4番ファースト 加藤 英司
「福本が出て、加藤で返す」初回に相手の心を折る電光石火の攻撃に仕上げ人。
その為、犠牲フライ歴代2位の記録を持つ。
1位は野村だが加藤は野村より打数は約4000個少ないので価値が高い。
しかし福本らに比べ衰えもやや早く、2000本安打のために流浪の旅に出たのは御存知の通り。
まず広島、近鉄、そして巨人と移るもまだここでは2000本未満。
しかもセリーグではからっきしだった為「パリーグ人間」の典型例でよく名前が上がる。
最後は南海に移籍し無事、2000本を達成。即引退。
5番サード 島谷 金二
中日の主軸だったが上田監督の強い要望で阪急4人と中日3人の大型トレードで加入。
その年ノーノーを達成した戸田や主力だった森本らを出す阪急の損では?
と思われたが結果的には阪急の大勝ちトレードになった。
松永が台頭するまで主力を張った。
6番DH 高井 保弘
御存知日本最高の代打。
この時代はDH施行後だったのでDHが多い。
MLBのレコードブックにも公式に代打最多HR打者として記録されている。
一般的な選手より手が小さく、プロが見たら驚くような細いグリップのバットを使っていたらしい。
(つまり、普通なら折れやすい)
7番ライト バーニー・ウイリアムス
上でも出てるが後のバーニーと同姓同名。
福本、蓑田と組んだ鉄壁の外野陣はパ他球団を諦めの境地にさせた。
8番キャッチャー 中沢 伸二
阪急黄金時代の名キャッチャー。
最初は弱肩だったが動作を速くすることで刺せる捕手に変身。
今でいう相川みたいなものか。
過去、野村のささやき戦法が通用しなかったので逆に変なタイミングで
声をあげることで王を封じたという逸話がある。
9番ショート 大橋 穣
72年から5年連続ベストナイン、7年連続ダイヤモンドグラブ賞のスーパーショート。
その間規定打席到達は1度だけという完璧守備職人。
超強肩なので前進守備しなくても刺せたという伝説を持つ。
「そもそも前進守備は投手からしたら迷惑」というのが持論。
今の投手はかわいそうだとよく言う。
先発ピッチャー(完投) 山田 久志
御存知日本最高の284勝サブマリン。
この前年まで3年連続MVP。
86年まで12年連続開幕投手を務めこの時期はその間の絶頂期。
この試合も田淵のソロ他2点に抑え楽勝する。
代走 田中 彰
選手としては特になし。
オリックス、中日、DeNAで長くスコアラーを務める。
代打 河村 健一郎
御存知、イチロー振り子打法の考案者。
中沢の控え捕手だが打撃では上回っていたためにDH出場記録が多い。
代走 井上 修
通算245安打ながら1000試合以上出てる典型的サブ。
レフト途中出場 大熊 忠義
この時期は控えになっていたが、初期福本の2番打者を務めた。
福本が走るので自由に打てず、
(ファールを打った場合はベンチからもスタンドからも「アホ!打つな!」と声が)
打率は大きく下がったが「辛抱料」として年俸は大幅アップしたらしい。
これで全員
>>51
有能
いちおつ
真弓と田淵のトレードって凄いよな
>>54
複数トレードやけどな
田淵 古沢 対 真弓 竹之内 若菜 竹田
団塊の世代が脂乗り切ってる時代やね
通算成績えげつない
1979年4月19日 前期6回戦 西武ライオンズ球場
西武2-4阪急(阪急5勝1分)
http://2689.web.fc2.com/1979/BL/BL6.html