ほんま惜しい人を亡くしたな…
薬疑惑とか泣けるで
豪遊が趣味で貯金もかなり使い込んで
奥さんに離婚されたとか記事になって
野球だけの問題やないことがわかって
擁護するのもバカらしい人物やで
37歳で20本塁打(超早熟)
超早熟とはいえ巨人では復活してる年もあるから何とも
23年間プロ野球選手やって通算OPSが.909で育成失敗とか言われる選手のどこが超早熟やねんアホか
500本以上打ってるから、早熟とは言わんやろ
超早熟(選手生命が短いとは言ってない)
育成失敗というか西武時代は森野球でチームバッティングに徹する場面が多かった
なお巨人
ボールの避け方身についてたらもっと伸びたやろ
実際巨人行かんかったら600超えてたやろ
いやープロ入った数年間でもっと練習しとけばとんでもない選手になった、
っていうのは25くらいでもう言われてたからなあ、落合とかに。
清原操縦できる指導者に出会えなかったことが不幸やったかもな。
逆に18歳で3割30本打つ選手に何を教えるというのか
>>14
そら社会人としての常識とかメンタル面とかやろ
スポーツやる人間は人間的にも成熟してなアカン
>>15
中田はその辺り上手く育ってくれたよな
サンキューハッム
>>14
土井正博が球の避け方教えられんかったのが悔やまれると言うてた
>>14
野村克也のルーキーイヤーの清原の評価
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の十八歳のときなどは、クズみたい
なものだったな」高知県・春野の西武キャンプで、私は清原にこういったが、
本当にそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
私が清原に会ったとき、ほれぼれとながめてしまい、ふだん解説者として禁句
にしている「すばらしい」という言葉を使ってしまった理由はほかでもない。
新人に必ずあるといってもいい、ひと目で見ぬける弱点がなかったからだ。打
撃フォームは、すでに完成品だった。内角・外角と打つポイントが一定しない
例はいくらでもある。フィニッシュも安定している。タイミングのとり方、バッ
トを移行させる軌道も正しい。技術的な弱点の見えない十八歳の新人はめずら
しい。この「見えなさ」を証拠だてる例に、長嶋と張本の清原評のちがいがあ
る。長嶋は「上半身は完璧、ただ、下半身の使い方が疑問」というが、張本は
「下半身は完璧」と、まったく反対の意見となる。
とはいっても、私の記憶の中にある榎本、中西、張本らの一年目にくらべてみ
ると、清原の場合、実はもうひとつピンとこないところがある。彼らには、はっ
きりと未熟さが見える一方で、未知数の粗けずりな魅力があった。清原の場合、
未熟さを感じるのだが、その未熟さがはっきりと目には見えてこない。
気にかかることをもうひとつ。彼の器用さである。外角球をチョンと右へ打つ。
私は、ホームランの量産は意外に少ないのではないか、とみる。器用さに流れ
てしまうことは弱点に通じるといっていい。不器用族と起用族、どちらが強い
のか結論ははっきりしている。「オレは不器用だ」という自覚が「どうすれば
いいか?」という質の向上につながっていく。私の出会った一流選手の多くは
不器用族だった。あの金田は、はじめはストライクを満足に投げられなかった。
王については二十二年間の三振の多さ、千三百十九個という記録を指摘すれば
足りる。
清原の遅れているところは、スイングのスピードだ。いまのスイングでは速い
球についていけない。内角球に苦しむ、となると一流の打者の資格がないこと
になる。救いは、清原の体がまだ少年のそれであることだ。スイングのスピー
ドは、下半身の強化と、ムダな力を抜くことで改善できる。スピードの根源は、
下半身からの瞬発力にある。三、四年たったあとの清原が楽しみだ。この一年
目、清原はそこそこに打つだろう。合格点である打率二割五分にはたぶん達す
ると思う。いまのパ・リーグにはほんとうに速いピッチャーはいない。清原の
いまのスピードでも、とりあえずついていける。これは強運のひとつともいえ
ようが、将来の大成を考えれば、危険な落とし穴と紙一重でもある
週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年4月4日号)
>>17-19
いつ見てもドンピシャ過ぎて怖い
早熟というわけでもないと思う
>>17-19 の野村のコメント通りなら、新人の時点で規格外の技術をもちながら、まだまだ成長の余地があるまさに規格外の選手だったわけで
結局、そこで努力することが出来なかったから早熟のように見えるだけだと思う
現代のようにストイックな若手が多い時代だったら
どんな選手になったのかが気になる
>>21
> 清原がピッチャーに襲いかかったのは、「スター選手をみたら引きずり降ろせ」というひがみ根性が染みついているパリーグの面々から、
延々とデッドボールをぶつけられたからである。清原の受けたデッドボール(あくまでも、実際に当たったぶんだけ)の数は異常である。
一年目からして未成年なのにもう11個、以後、10個、二十歳を過ぎた三年目からはさらに酷くなって15個、16個、15個で、三年連続デッドボール王。
なんと、五年で67個!! 竹之内じゃあるまいし、清原は切れて当然なのである。だから清原が暴れたこと自体は、別に悪くはない。
黙っていたらいつまでもやられ続けるだけなのだ。だから悪いはないが、この時マスコミも球界も、「デッドボールがこんなに発生するのは
おかしいから、ルールを変えよう」とかまともな解決方法を模索することをせず、「清原がちょっとキレましたけど、たいしたことじゃありません」と
清原を庇う振りをして結局は黙殺したのだった。この時、「清原はけしからん」と叩かれていたら、まだマシだったのだ。清原は「何をいうとるんや」と
周囲に対して怒ることができただろう。だが、庇うふりをして、無かったことにされた。これは、子供を過保護でスポイルして性格異常に育ててしまう
のと同じやり口で、要するに虐待しているのと同じなのだ。清原は怒りの持って行き場を見失ってしまったのだ。その結果、清原は、
何を怒っているのかわからないがとにかく怖いという「長渕剛人格」になってしまった・・・野球に対しての姿勢すら、これによって決定的に歪んだのだ。
野球に夢を失った清原はますます女遊びにうつつを抜かすようになった。増えるのは大振りのはての三振だけで、成績はどんどん落ちていった。唯一彼の
アイデンティティを保ってくれたのは、馬鹿正直にストレートで攻めてくる「究極の野球バカ」野茂との対決だけになっていた。逆に言えばあの怪物清原が、
十年後には、変化球を曲げられたらそれでオシマイ、というバッターになっていたのである。清原自身、ビーンボール投げるのは汚い、という怒りが、
鬱屈したあげくに、変化球を投げる奴は汚い、まっすぐを投げえ、というワガママに変質していたのだった。西武時代の最後の四年間、清原は四年連続百三振を喫していた。
四年で470三振というブライアントなみの三振王、でもホームランは平均25本ていどで、打撃タイトルにはほどとおい・・・それが西武での清原の最後の姿だった。
これが事実ならなんか不憫になってきたわ
もしはじめから巨人に入ってたら違ってたんだろうか
割とガチであると思う
18歳で3割30本とかどう考えてもおかしいやろ