よけろよデブ
清原多すぎやろ
よし強打者ばっかりだな
>>4
二位は強打者ではないぞ
>>7
ライオンズが誇るサヨナラ男なのでセーフ
竹之内って誰やねん
>>20
真弓の付属品
竹之内雅史
https://ja.wikipedia.org/wiki/竹之内雅史
1967年、ドラフト3位で西鉄ライオンズに入団。ライオンズでは「中西太二世」と呼ばれ、土井正博・基満男・大田卓司らと共に低迷期のライオンズの中心打者として活躍した。同期の東田正義とトンタケ・コンビで注目された[2]。何度も怪我に泣きフル出場は一度もない[2]。
バッティングに関してはとにかく凝り性で、毎試合のようにバッティングフォームを変え、「猫背打法」「マサカリ打法」など独特の打撃フォームを経て、バットを斜めに寝かせ小刻みに揺らす独特の踏み込むバッティングフォーム(通称「竹之内打法」。中西太の指導によるものとされる)を完成させた。そのバッティングフォームは阪神に移籍後、関西のお笑い芸人や阪神ファンの少年[3]によく物まねされた。 腕っぷしの強さで長打もあったが[2]、好球必打で四球は少ない[2]。
当時のライオンズの給料があまりにも安かったため、オフシーズンには「竹之内球場」という焼き鳥屋のおやじをやっていた。
1979年、田淵幸一・古沢憲司とのトレードで真弓明信・若菜嘉晴らと共に阪神タイガースへ電撃移籍。1年目から4番に座り、オールスター前だけで17本塁打を打つ[2]。主に外野を守った。翌1980年、5月27日の中日戦でサヨナラ満塁ホームランを放つ。その後は肋骨を折ってしまったが、復帰した7月5日の大洋戦でサヨナラヒットを放つ。しかし、1981年の5月10日のヤクルト戦で松岡弘から死球を右手に受けに骨折[2]。それがもとで低迷、翌1982年5月19日の対ヤクルト戦後に引退表明し、この年限りで現役を引退。
清原はなんでよけなかったんや?
>>26
若手の頃に避け方教えてもらえなかったから
稲葉井口は意外やね
2015 死球6(リーグ2位タイ)
2014 死球13(リーグ1位)
2013 死球13(リーグ2位タイ)
2012 死球15(リーグ1位)
2011 死球12(リーグ2位タイ)
当り屋村田
村田は内角を意識させておかないと
踏みこんできたときは今でもいい当たりするからな
死球が多いのと引き換えに眠らされている
井口越えは余裕やな
逆方向へ打つの上手いからね
でもこれ見ると強打者ばっかりやんけ
一応村田も相手に警戒されてるんやな
1 清原和博 196
2 竹之内雅史 166
3 衣笠祥雄 161
4 井口資仁 142
5 村田修一 138
5 稲葉篤紀 138