1 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:45:25 ID:9aq

各地で続々と夏の甲子園に出場する代表校が決まってくる今日このごろ

というわけで、よく「甲子園優勝投手は活躍できない」というジンクスがありますが、果たして本当にそうなのかという事を、甲子園優勝投手の歴史とともに見ていくスレです。



4 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:47:53 ID:9Nv

S藤、D林

5 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:48:41 ID:9aq

このスレでは「プロ入りした甲子園優勝投手」についてまとめていきます

優勝投手という括りにつきましては大体の主戦投手としてみるのでダブルエースの片割れだったり、リリーフエースも入ったりしますがご了承ください


成績につきましては投手としての通算成績、野手としての通算成績、投手としてのキャリアハイ、現役選手は今シーズンの成績を記載します。

後簡単でガバガバなワイの寸表と解説もついでに


それでは始めます

6 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:48:59 ID:9aq

第11回全国高等学校野球選手権大会 (1925年) 優勝 高松商業

優勝投手 宮武三郎

実働3年 24登板 149.2回 10勝7敗 3.78 45奪三振 (実働3年 157試合 131安打 .258 9本 78打点 5盗塁)

キャリアハイ:1938秋 13登板 99.1回 6勝4敗 3.69 34奪三振

後輩の水原茂らとともに甲子園優勝。慶應大学でも通算38勝、投手でありながら7本塁打など「慶應の超ド級」と呼ばれるほどにアマチュア球界で圧倒的な成績を残した選手。

1931年にはクラブチーム・東京倶楽部にも加入し、あの大リーグ選抜とも戦った。プロ野球においては阪急軍初代主将。

戦前における天才選手と名高い人で、若くして亡くなるも功績を評価されて野球殿堂入り。


第13回全国高等学校野球選手権大会 (1927年) 優勝 高松商業

優勝投手 水原茂

実働1年 12登板 84回 8勝2敗 2.14 45奪三振 (実働8年 523試合 476安打 .243 12本 184打点 69盗塁)

キャリアハイ:1938秋 11登板 82回 8勝2敗 1.76 44奪三振

アマチュア球界・巨人黎明期にて選手として活躍。巨人では主に三塁手だった。三原マジックで有名な三原脩とは大学時代からのライバル。

監督としては、巨人での11年間で8度の優勝に4度の日本一。

パリーグでは東映フライヤーズの監督として尾崎行雄などを獲得し、日本一に導いており、セパ両リーグで日本一の偉業を成し遂げている名将。

7 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:49:47 ID:9aq

第14回全国高等学校野球選手権大会 (1928年) 優勝 松本商業

優勝投手 中島治康

投手としての実働なし (実働14年 871試合 889安打 .270 57本 493打点 103盗塁)

巨人創成期のメンバー。強肩強打の外野手として1938秋に史上初の三冠王(.361 10 38)に、戦前・戦中の劣悪な環境の中で首位打者二回・本塁打王一回・打点王三回という記録を打ち立てた名選手。


第7回選抜高等学校野球大会(1930年) 優勝 第一神港商業

優勝投手 岸本正治

実働1年(1938秋) 2登板 9回 0勝0敗 4.00 3奪三振 (実働2年 18試合 10安打 .213 0本 4打点 0盗塁)

彼が第7回大会で打ち立てた54奪三振は1973年に江川卓が塗り替えるまでの大会記録だった。


第16回全国高等学校野球選手権大会(1930年) 第8回選抜高校野球大会(1931年) 優勝 広島商業

優勝投手 灰山元治

投手としての実働なし (実働2年 74試合 34安打 .130 1本 11打点 5盗塁)

1929年夏にも4番ショートとして優勝経験あり。 投げ下ろす直球と外角への縦カーブを武器に、広島商業を夏連覇へと導く。

日本で初めて背番号が採用された第8回選抜では、選抜史上初のノーヒットノーランも達成しており、背番号1のエースかつ4番で夏春連覇に導き、「元祖エースで4番」と言える選手。大学以降では野手転向。

8 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:50:58 ID:9aq

第20回全国高等学校野球選手権大会(1934年) 優勝 旧制呉港中

優勝投手 藤村富美男

実働8年 76登板 345.1回 34勝11敗 2.35 183奪三振 (実働17年 1558試合 1694安打 .300 224本 1126打点 103盗塁)

キャリアハイ:1946 23登板 107回 13勝2敗 2.44 43奪三振

知ってる人はお馴染みのミスタータイガース。

春夏合わせて6度出場し、のちの巨人のエース・沢村栄治、世紀の剛球投手と評された・楠本保、夏3連覇&甲子園通算23勝3敗の怪物・吉田正男とも名勝負を繰り広げた甲子園の申し子。

後の打撃の神様、川上哲治とも甲子園決勝で対戦している。大阪タイガース入団後は日本球界初代本塁打王など、特に戦後黎明期におけるタイガースの象徴となった。ちなみにイチローの前のシーズン最多安打保持者であった(191安打で、44年間破られなかった)。

9 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:52:13 ID:9aq

第21回全国高等学校野球選手権大会(1935年) 優勝 愛媛県立松山商業

優勝投手 中山正嘉

実働6年 232登板 1292回 72勝97敗 3.07 640奪三振

キャリアハイ:1939 60登板 379.2回 25勝21敗 2.04 178奪三振

プロ史上二人目の初登板初完封記録者。1940年にはNPBシーズン最多の29敗(18勝)を記録してしまっている。

ちなみにこの年の名古屋金鯱軍は108試合で彼が登板したのは61試合、チームの負けが63なので半分程は責任投手が彼である。頭おかしい(小声)

戦争に関係するかどうかは不明だが1941年に一度引退、1950年に復帰し広島に入団するが2勝10敗と振るわずに引退した。


第22回全国高等学校野球選手権大会(1936年) 優勝 岐阜商

優勝投手 野村清(後に野村武史)

実働8年 230登板 1199.2回 73勝73敗 3.20 376奪三振

キャリアハイ:1950 34登板 217.1回 18勝4敗 3.34 75奪三振

第一エース松井栄造とのダブルエースで22回大会の優勝に貢献。主戦投手となった24回大会では後輩・大島信雄との二枚看板で準優勝。

1946年にセネターズに入団するも退団、50年に毎日オリオンズに復帰し日本一に貢献、通算4度の二桁勝利を記録した。引退後は議員に。


第14回選抜高等学校野球大会(1937年) 優勝 浪華商業

優勝投手 村松長太郎

実働1年(1940) 11登板 35.2回 1勝0敗 3.79 10奪三振 (実働4年 198試合 97安打 .175 0本 28打点 15盗塁)

甲子園には三回出場。14回選抜決勝では後述の野口二郎に投げ勝って優勝。プロではその野口と同僚となった。

しかし、プロでは野口との実力差を痛感し、外野手としての出場が多くなった。

10 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:53:07 ID:9aq

あ、あまりプロでは活躍していない選手はまとめて記載したり

逆に有名な選手だったり、名選手だったりは1レスで記載したりするかもです

12 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:53:37 ID:9aq

第23回全国高等学校野球選手権大会(1937年) 第15回選抜高校野球大会(1938年) 優勝 中京商業

優勝投手 野口二郎

実働12年 517登板 3447.1回 237勝139敗 1.96 1395奪三振 (実働13年 1098試合 830安打 .248 9本 368打点 94盗塁)

キャリアハイ:1942 66登板 527.1回 40勝17敗 1.19 264奪三振 (WHIP0.77 この年の19完封はシーズン記録)

野口4兄弟の次男。第23回全国大会では決勝に熊本工業・川上哲治に投げ勝ち、第15回選抜ではノーノー含む4連続完封という大会記録で夏春連覇。

プロ入り後はセネターズのエースとして活躍。戦後は阪急に所属し、投手としての全盛期は過ぎながらも1947年の24勝を筆頭に5年連続で二桁勝利。無類のタフネスを誇る選手であった。

その一方で野手としても一定以上の成績を残し、外野手・一塁手として当時の日本記録である31試合連続安打を樹立。

規定投球回・規定打席の両方を満たすシーズン6回に及び、1946年は打者として規定到達し.298、投手として規定到達し13勝を上げている。

通算237勝は甲子園優勝経験者としては史上最多であり。元祖二刀流にして、甲子園優勝投手界のレジェンドである。

13 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:54:49 ID:9aq

第24回全国高等学校野球選手権大会(1938年)優勝 平安中学

優勝投手 天川清三郎

実働2年 28登板 120.1回 3勝8敗 2.39 22奪三振 (実働2年 35試合 12安打 .214 0本 3打点 0盗塁)

キャリアハイ:1940 16登板 69.2回 2勝5敗 2.57 13奪三振

甲子園には計8回出場。第24回大会では広瀬清文とのダブルエースで平安中学を優勝に導く。

プロでは南海軍に入団。兵役によってチームの選手が駆り出されるなどの人材難で外野手で出場するなどで成績は伸びやんだが、通算3勝の内2勝が完封である。


第16回選抜高等学校野球大会(1939年) 優勝 東邦商業

優勝投手 松本貞一(後に木下貞一)

実働2年 17登板 74.2回 4勝5敗 1.80 18奪三振 (実働4年 201試合 104安打 .234 1本 39打点 10盗塁)

キャリアハイ:1941 16登板 73.2回 4勝4敗 1.58 17奪三振

投手としてはプロ1年目(1941)が主。2年目以降は内野手に転向するも、同オフに退団。

戦後、就職していたが1953年に名古屋ドラゴンズに復帰。主に代打で活躍した。


第17回選抜高等学校野球大会(1940年) 優勝 岐阜商

優勝投手 大島信雄

実働6年 162登板 884.1回 64勝41敗 2.82 273奪三振

キャリアハイ:1950 34登板 225.1回 20勝4敗 2.03 70奪三振

第17回選抜では国枝利通や高山泰夫などといった後のプロ野球選手と共に優勝。大学・社会人を経て1950年に29歳で松竹に入団した。

オールドルーキーながらもこの年20勝を記録、通算4度の二桁勝利を記録した。

14 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:57:30 ID:9aq

第26回全国高等学校野球選手権大会(1940年)優勝 海草中

優勝投手 真田重蔵

実働11年 416登板 2717回 178勝128敗 2.83 1083奪三振 (実働12年 667試合 353安打 .255 12本 182打点 15盗塁)

キャリアハイ:1950 61登板 395.2回 39勝12敗 3.05 191奪三振

海草中では全5試合完封・2試合連続ノーヒットノーランという記録を「伝説の大投手」と呼ばれた嶋清一の3年後輩。彼の後を受けエースとして、海草中を夏2連覇へと導いた。

その後朝日軍に入団。戦後は豪速球と「懸河のドロップ」と呼ばれた変化球を武器に、通算7度の二桁勝利にノーヒットノーランを二度達成。ちなみにシーズン被安打記録保持者(1946年:被安打422)でもある。

特に1950年には39勝を挙げて最多勝・ベストナイン・沢村賞に輝き、松竹ロビンスのエースとして優勝に貢献した。通算178勝は甲子園・プロの両方で優勝を記録した選手では最多。

また、打撃にも定評のある選手で晩年は三塁手も経験。1950年は197打席で.314 2本 36打点を樹立している。なんやこいつ・・・

67 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:46:36 ID:kce

>>14

真田さんはその後甲子園優勝監督にもなったのが凄い

68 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:47:24 ID:9aq

>>67

こマ?それは知りませんでしたね

これだけ優勝に縁があると野球人として本望でしょうねえ

110 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:23:51 ID:EBd

>>68

引退後はスポーツニッポンの野球評論家となる。1960年からは、同年4月に開局した東海ラジオ放送の初代プロ野球解説者などを務めた後、

明星高等学校野球部の監督となり、1963年の夏の甲子園で優勝した。甲子園優勝投手が甲子園優勝監督となった第1号である。


1964年にプロ球界に復帰、東京オリオンズのコーチに就任。

以降は阪急ブレーブス、近鉄バファローズでもコーチを務め、1979年の近鉄初優勝にもコーチとして貢献した。1990年に野球殿堂入り。


晩年にはボーイズリーグチームの監督を務め、弱小だったチームを全国大会出場に導いている。

15 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:58:22 ID:9aq

第18回選抜高等学校野球大会(1941年) 優勝 東邦商業

優勝投手 玉置玉一(後に安居玉一)

実働1年(1942) 10登板 47.1回 1勝3敗 2.06 13奪三振 (実働13年 1392試合 1298安打 .267 70本 569打点 116盗塁)

東邦商業のエースとして優勝に導く。しかし1941年の全国大会が中止になったことから暴力沙汰を起こして中退。

阪神の若林忠志に誘われ入団。プロではすぐにサードに転向し、第一次ダイナマイト打線の7番打者として活躍。

19 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:02:09 ID:dOd

>>15

名前で草生える

16 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:58:40 ID:9aq

ここまでが戦前の甲子園優勝投手になります。

17 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)21:59:54 ID:9aq

では戦後編に移ります


第20回選抜高等学校野球大会(1948年) 優勝 京都一商

優勝投手 北本重二

実働1年(1949) 1登板 2回 0勝0敗 22.50 0奪三振

第20回選抜で優勝、国体でもノーノー達成して優勝に導くなど、当時のプロ注であり、9月頃には阪神と契約を交わしていたが、国体終了後に太陽ロビンスが阪神を上回る契約を提示。

北本の父親は阪神との契約を破棄して太陽と契約。ココらへんでゴタゴタしたのが理由で国体での成績を消されてしまった。

太陽に入団したはいいものの、北本の肩は既にぶっ壊れており、満足にプロで投げる事無く引退した。悲しいなあ・・・


第22回選抜高等学校野球大会(1950年) 優勝 韮山高

優勝投手 東泉東二

実働2年 8登板 15.2回 0勝1敗 9.19 8奪三振

キャリアハイ:1952 6登板 14回 0勝0敗 7.71 6奪三振

県立であった韮山高のエースとして全試合に登板。初出場初優勝の偉業を成し遂げた投手。しかしプロでは壁にぶつかり未勝利。

シャドーピッチングで自室をボロボロにするほどの練習の虫だったという伝説が同校に伝わっているそうだ。


第33回全国高等学校野球選手権大会(1951年)優勝 平安高校

優勝投手 清水宏員

実働6年 85登板 252回 10勝7敗 3.54 90奪三振

キャリアハイ:1954 28登板 118回 7勝3敗 3.28 44奪三振

1954年に7勝するがそれ以外の年はぱっとせず

18 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:01:45 ID:sMx

なかなか興味深いスレやな

20 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:02:44 ID:4gc

投手として大成してるの少ないなあ

21 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:03:05 ID:9aq

>>18

選手の掲載が終わったら

春・夏それぞれの甲子園優勝投手の勝利数ランキングや

甲子園優勝投手の平均でも出すつもりです(これは時間かかるかも)

22 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:03:31 ID:9aq

あ、平均ってのはプロでの投手成績平均です

23 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:03:58 ID:9aq

第24回選抜高等学校野球大会(1952年) 優勝 静岡商業

優勝投手 田所善次郎

実働12年 391登板 1361.2回 56勝83敗 3.20 647奪三振

キャリアハイ:1957 56登板 301.1回 15勝21敗 2.41 162奪三振

エースで4番として全試合完封で選抜制覇。国鉄に入団し金田正一とともに先発の柱として活躍。

防御率の割に勝ち星が伸び悩むのは当時の国鉄の弱さとムエンゴさからするとしかたないところ。


第34回全国高等学校野球選手権大会(1952年)優勝 芦屋高校

優勝投手 植村義信

実働9年 322登板 1240回 74勝69敗 2.69 832奪三振

キャリアハイ:1956 58登板 232.2回 19勝5敗 2.01 161奪三振

高卒二年目からチームの主戦投手として活躍、3年目に17勝、4年目に19勝と活躍するものの故障や赤痢から26歳で引退してしまう。

25 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:05:31 ID:9aq

第35回全国高等学校野球選手権大会(1953年)優勝 松山商業

優勝投手 空谷泰(後に児玉泰)

実働8年 208登板 1051.2回 63勝57敗 2.53 741奪三振

キャリアハイ:1959 45登板 256.2回 20勝11敗 2.07 189奪三振

エースピッチャーとして全試合投げきり優勝(準決勝まですべて完封)。プロに対する希望はどこでも良かったので、球団側が入札する今で言うポスティングシステムのようなものに、しかし高野連に対して報告がなかったために松山商業はこっぴどく怒られた。

中日に入団し史上初の日本一に貢献。9回完全達成するも援護なくそのまま延長に入り、11回二死まで粘るもそこでヒットを打たれた試合がある。コダマクーン!


第36回全国高等学校野球選手権大会(1954年) 優勝 中京商業

優勝投手 中山俊丈

実働11年 396登板 1605回 83勝90敗 2.55 1144奪三振

キャリアハイ:1956 45登板 256.1回 20勝11敗 1.62 222奪三振

2年目から二年連続20勝と大活躍するもそこから故障で低迷、サイドスローに転向して9勝をあげるなど復活、ノーノーも達成した。


第27回選抜高等学校野球大会(1955年) 優勝 浪華商業

優勝投手 広島尚保

実働4年 118登板 385回 19勝19敗 2.66 254奪三振

キャリアハイ:1960 57登板 236.1回 15勝11敗 2.24 172奪三振

広島だけど大阪出身。もう一人のエース谷本隆路をリリーフする2枚看板として甲子園を制覇。

その後中日に入団、広島だけど。1960年にチーム最多タイの15勝をあげるもののそこから低迷。5年目に広島に移籍し、そこで引退した。


第37回全国高等学校野球選手権大会(1955年) 優勝 四日市高

優勝投手 高橋正勝

実働1年(1957) 3登板 6回 0勝1敗 1.50 1奪三振

三重県勢史上初の全国制覇をエースとして引っ張った。プロとしては巨人入団後1年目に3登板したのみだが、巨人の初代スコアラーとなり、球団の査定部長なども歴任。

26 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:06:28 ID:9aq

第29回選抜高等学校野球大会(1957年) 優勝 早稲田実業

優勝投手 王貞治

投手としての実働なし (実働22年 2831試合 2786安打 .301 868本 2170打点 84盗塁 2390四球)

皆さんご存知世界のホームラン王。甲子園に述べ4回出場し、早実のエースとして関東に選抜優勝旗を初めてもたらした。本人曰く「高校二年の頃が投手としてのピーク」だったそうだ。

巨人入団後はいわずもがな、長嶋茂雄とのON砲で巨人V9の中核として活躍。シーズン55本は長らく日本記録で、現在も本塁打・打点・四球のアンタッチャブルな通算記録を残している。

監督としてはダイエー時代より柔軟になれるようになり、今に続く強固なホークスを作り上げた名将といえる。

27 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:07:42 ID:sMx

>>26

やっぱりONがナンバーワン!

28 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:08:33 ID:9aq

第31回選抜高等学校野球大会(1959年) 優勝 中京商

優勝投手 平沼一夫

おそらく実働なし?

中京大を経て東京オリオンズに入団するも、首脳陣といざこざを起こしてまともに登板機会を与えられないままに球界を去ったらしい。

引退後、1969年に1年だけ存在したプロ野球リーグ、グローバルリーグに参加した選手の一人らしい。だがグローバルリーグは一年で閉幕した模様。


第41回全国高等学校野球選手権大会(1959年) 優勝 西条高

優勝投手 金子哲夫

実働1年(1960) 1登板 0回 0勝0敗 -.--(0回自責2) 0奪三振

甲子園では決勝で延長15回の試合を制し優勝。プロでは1試合投げたのみでアウト1つも取れず。

29 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:09:09 ID:9aq

第42回全国高等学校野球選手権大会(1960年) 第33回選抜高校野球大会(1961年)優勝 法政二高

優勝投手 柴田勲

実働1年(1962)6登板 11回 0勝2敗 9.82 9奪三振 (実働20年 2208試合 2018安打 .267 194本 708打点 579盗塁)

別名「銀座の盗塁王」 法政二高のエースとして夏春連覇。浪商・尾崎行雄とはライバル関係だったそうな。

プロでは投手としては失格の烙印を押され、野手転向し長打力も兼ね備えたスイッチヒッターの一番打者としてV9などで活躍。

2000本安打も達成しており、スイッチヒッターの草分け的存在といえる。NPBにおける通算盗塁579はセリーグ記録で歴代3位。


第43回全国高等学校野球選手権大会(1961年) 優勝 浪商高

優勝投手 尾崎行雄

実働12年 364登板 1548.2回 107勝83敗 2.70 1010奪三振

キャリアハイ:1965 61登板 378回 27勝12敗 1.88 259奪三振

怪童と呼ばれた豪速球投手。前述の柴田とのライバル関係は語り草。

高校を中退して東映フライヤーズに入ると一年目から20勝と大車輪の活躍。5シーズンで98勝というおかしいペースで勝ち続けるも肩を痛め勝てなくなり29歳で引退。

伝説的な直球は今なお語られ、その速さは150前半、後半、あるいは160km/hと諸説ある。通算107勝は戦後の甲子園優勝投手では初めての100勝投手

30 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:10:55 ID:yIa

昔から高校球児は登板過多でピークが3年じゃない選手は多いね

江川が2年秋ピークってのも割と有名か

31 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:12:16 ID:9aq

>>30

昔の選手だとプロに入っても200イニング300イニングが平気なんで早熟な投手が多いのはそういうことかなと

一部おかしい選手が200勝300勝打ち立てますけど、今書いた尾崎行雄がその一例かなと

34 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:14:13 ID:yIa

>>31

現代でも高1がピークの投手ってそこそこいるしね

ダルマー松坂も怪我したし、高校時代エースで200勝もした工藤とかおかしい

32 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:13:04 ID:9aq

第34回選抜高等学校野球大会(1962年)優勝 作新学院

優勝投手 八木沢荘六

実働13年 394登板 1200回 71勝66敗 3.32 567奪三振

キャリアハイ:1976 34登板 171.2回 15勝9敗 2.46 66奪三振

第34回選抜での作新学院エース。作新学院は夏も優勝し春夏連覇を達成しているが、八木沢は赤痢で出られなかった。不運である。

早大を経て東京オリオンズに入団。伸び悩みながらも当時の4本柱に次ぐ投手として長く活躍。1976年には15勝をマーク。完全試合も達成している。


第44回全国高等学校野球選手権大会(1962年) 優勝 作新学院

優勝投手 加藤斌

実働2年 35登板 78.1回 3勝4敗 4.50 23奪三振

キャリアハイ:1964 31登板 69.1回 2勝4敗 4.96 19奪三振

赤痢になった八木沢に代わって主戦投手になった作新学院のエース。見事に代役を務め上げ、チームを優勝に導いた。

中日に入団し、プロ1年目から登板するなど期待されていたが、2年目のオフに交通事故で亡くなってしまう。彼はまだ20歳であった、なんという不幸か・・・

35 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:14:35 ID:9aq

第35回選抜高等学校野球大会(1963年)優勝 下関商業

優勝投手 池永正明

実働6年 238登板 1477.1回 103勝65敗 2.36 793奪三振

キャリアハイ:1967 54登板 335.1回 23勝14敗 2.31 203奪三振

高校時代は3度甲子園に出場。西鉄に入団しルーキーから20勝を挙げ、稲尾和久の後のエースとして大活躍。

入団5年で99勝を挙げ、300勝も夢ではないかと思われたその矢先に黒い霧事件が明るみに、当人は関与を否定したが永久追放の憂き目にあった悲劇のエース。

彼の追放を惜しむ声は大きく。次第に復権運動が生まれ、20年以上たった2005年に池永は復権した。

投球以外にも打撃・守備にも優れたと言われ、野球センスの塊と評されていた。それだけに失った時間は帰ってこず、非常に惜しい。


第36回選抜高等学校野球大会(1964年)優勝 徳島海南

優勝投手 尾崎将司

実働3年 20登板 41.1回 0勝1敗 4.83 22奪三振 (実働3年 50試合 2安打 .043 0本 0打点 0盗塁)

キャリアハイ:1965 17登板 39回 0勝1敗 4.85 22奪三振

徳島海南をエースとして初出場初優勝に導く。その後西鉄に入団するが、同期の池永の投球を見て「こんなピッチャーがいたんじゃ、俺なんかピッチャーで飯が食える訳が無い」と野手転向。

二軍では活躍したが一軍では目立った活躍はできず。曰く「池永に勝ちたいという気持ちが野球を辞める理由だった。野球では負けたけど、違う世界ではあいつを追い抜く。そんな気持ちだった」という思いで退団。

その後の彼はプロゴルファーに転向。「ジャンボ尾崎」の別名で親しまれ、数々の記録を打ち立て世界ゴルフ殿堂入りを果たす。彼は別の道でレジェンドになったが、皮肉にも池永は野球界で自らの道を閉ざされていた・・・。

38 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:17:22 ID:dOd

>>35

ジャンボもジャンボで残っとたら黒い霧に巻き込まれてたかもしれんし巻き込まれんでももう道が限られらている年齢でクビになってたかもしれんしな

人生って何があるもんかわかんらんな

36 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:15:38 ID:9aq

第37回選抜高等学校野球大会(1965年)優勝 岡山東商業

優勝投手 平松政次

実働18年 635登板 3360.2回 201勝196敗16S 3.31 2045奪三振

キャリアハイ:1970 51登板 332.2回 25勝19敗 1.95 182奪三振

第37回選抜では39イニング連続無失点の大会新記録を樹立。決勝では藤田平がいた市和歌山商を延長戦の末に破り優勝。

大学を経て大洋ホエールズに入団。優勝こそできなかったが大洋一筋18年で12年連続二桁勝利、沢村賞も獲得するなど輝かしい実績を打ち立てた。通算201勝で、甲子園優勝投手で投手として名球会入りしたのは平松のみである。

うち51勝はV9期もあった巨人からであり、「巨人キラー」の名前をほしいままにしている。巨人戦51勝(47敗)は歴代二位。

本人の代名詞で著名な「カミソリシュート」はプロ入り後に取得したもの。ブレイク前に練習で天秤打法で有名な近藤和彦から冷やかしで投げさせられたら、初めて投げたシュートがすさまじいキレを発揮した、という事らしい。

37 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:17:08 ID:9aq

第47回全国高等学校野球選手権大会(1965年) 優勝 三池工業

優勝投手 上田卓三

実働11年 205登板 393.1回 13勝13敗 3.41 194奪三振

キャリアハイ:1970 44登板 116回 3勝2敗 3.18 69奪三振

菅野関連で知っている人も多いHARAの父・原貢が率いた三池工業のエース。決勝ではロッテの名投手・木樽正明との投げ合いを完封で制し、全試合完投でチームの初出場初優勝の原動力となった。

南海に入団し主にリリーフで活躍。プロでは通算で5本も満塁ホームランを打たれているが、何故か打たれた試合は4勝1分という意味の分からない強運持ちでもある。


第38回選抜高等学校野球大会(1966年)第48回全国高等学校野球選手権大会(1966年) 優勝 中京商業

優勝投手 加藤英夫

実働5年 101登板 183.2回 2勝9敗3S 3.67 102奪三振

キャリアハイ:1974 38登板 66回 1勝4敗3S 3.68 35奪三振

中京商業のエースとして春夏連覇を達成。近鉄に入団し定着できないながらもリリーフとして活躍した。


第39回選抜高等学校野球大会(1967年) 優勝 津久見高校

優勝投手 吉良修一

実働5年 35登板 61.1回 2勝1敗 3.69 44奪三振

キャリアハイ:1972 11登板 22.1回 3.27 15奪三振

選抜の決勝では後のロッテの名選手・弘田澄男擁する高知高を破り優勝。期待されてプロ入りするが、2勝しか出来ずに引退。

39 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:19:03 ID:9aq

第42回選抜高等学校野球大会(1970年) 優勝 箕島高校

優勝投手 島本講平

投手としての実働なし (実働13年 828試合 454安打 .243 60本 232打点 32盗塁)

エースで4番としてチームを優勝に導き、この前年度で選抜準優勝だった太田幸司に続く甲子園のアイドルとして親しまれた。

この年のドラフトでは後の湯口事件の当事者である湯口敏彦、広島カープ初優勝時の主戦投手として活躍した佐伯和司と並んで「高校生BIG3」「高校三羽烏」と並び称された。

当時の監督ノムさんの氏名で南海に入団。プロでは外野に転向し、ルーキーながら人気ぶりでオールスターに選ばれるが、南海時代は壁にぶつかり全く活躍できなかった。

近鉄にトレードで移籍後才能が開花。準レギュラー格として3度の二桁本塁打など、近鉄の二連覇に貢献した。

ちなみに娘はテレビ朝日アナウンサーの島本真衣。


第44回選抜高等学校野球大会(1972年) 優勝 日大櫻丘

優勝投手 仲根正広

実働4年 30登板 111.2回 2勝8敗 4.34 70奪三振 (実働11年 347試合 189安打 .247 36本 120打点 8盗塁)

キャリアハイ:1973 25登板 95回 1勝8敗 4.74 61奪三振

高校時代から193cmという高身長から「ジャンボ仲根」の愛称で親しまれていた。

プロ入り後は投手としては伸び悩み外野手に転向。NPB通算5万本目のホームランを打った選手である。引退後は焼肉レストランの経営の傍ら解説者として精力的に活躍するも、若くして亡くなった。

40 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:19:37 ID:aIZ

ここまで見ると結構活躍しとる人多いな

打者転向が上手くいってるのはやっぱセンスあるんやろなあ

41 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:20:41 ID:9aq

>>40

なんだかんだ何かしらのセンスはあるんでしょうね

打者転向はかなり早い段階で行っている傾向っぽいです、雄平ほどじっくり投手で見ない感じですかね

42 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:21:01 ID:sMx

>>40

さいてょも打者転向で返り咲く可能性が微レ存?

43 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:21:42 ID:9aq

第54回全国高等学校野球選手権大会(1972年) 優勝 津久見高校

優勝投手 水江正臣

一軍出場なし

公立の津久見高校のエースとして全試合完投でチームを優勝に導く。が、プロでは伸び悩み一軍出場なし。


第45回選抜高等学校野球大会(1973年) 優勝 横浜高校

優勝投手 永川永植

実働1年(1977)1登板 1回 0勝0敗 9.00 0奪三振

高校時代は定岡正二・土屋正勝・工藤一彦らと共に「高校四天王」と呼ばれた。ヤクルトに入団するもフォーム矯正や肝炎を患うなどして満足に上で投げることは叶わなかった。

引退後は焼肉店を継いでいたが、やはり肝臓が悪かったのか肝臓がんで若くして亡くなる。


第56回全国高等学校野球選手権大会(1974年) 優勝 銚子商業

優勝投手 土屋正勝

実働11年 240登板 517回 8勝22敗4S 4.86 244奪三振

キャリアハイ:1981 23登板 33回 1勝0敗 1.91 16奪三振

1973年選抜から4度連続甲子園出場。あの江川卓にも投げ勝っている。第56回大会は肘を痛めながらも後の巨人の名選手篠塚和典らと共に全国制覇。

プロに入ってからも高校時代の活躍からか肘肩の故障と付きっきりであったが、リリーフで細く長く活躍した。

44 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:23:09 ID:9aq

第57回全国高等学校野球選手権大会(1975年) 優勝 習志野高校

優勝投手 小川淳司

投手としての実働なし (実働11年 940試合 412安打 .236 66本 195打点 13盗塁)

習志野進学当初は捕手だったが、故障者続出から投手にコンバート。股間神経痛でも走りこみをやめない程の猛練習を経て習志野のエースへと成長した。

中央大学時代に外野手コンバート、HARA・どんでんと主に大学日本代表になっている。

社会人を経てヤクルト入団後は準レギュラーとして3度の二桁本塁打を打つパンチ力で活躍。

引退後スカウトやコーチを歴任し、2010年には高田繁の後を受け監督に。どん底だったチームを再生させ、2011~12年は優勝争いも繰り広げた。しかし、固定起用傾向や、度重なるヤ戦病院ぶりからチームが低迷。個人的には不運なことも多かったと思うが責任を取り辞任した。

45 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:24:12 ID:9Nv

>>44

完全に忘れてたわ

46 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:24:29 ID:9aq

第48回選抜高等学校野球大会(1976年) 優勝 崇徳高校

優勝投手 黒田真二

実働3年 49登板 103回 0勝7敗2S 5.07 37奪三振

キャリアハイ:1983 32登板 72回 0勝5敗2S 4.75 37奪三振

子供の頃から広島ファン。後の広島の主力外野手・山崎隆造らと共に選抜を制覇した。イケメンで女性ファンも多かったらしい。

広島と相思相愛と主張してそれ以外の指名を遠慮していたが、日ハムが一位指名。悩んだ末に指名拒否して社会人野球へ進み、挫折を味わいながらもドラフト外でヤクルトに入団する。

一年目はルーキーとしてまずまずの成績だったが、オフに投げ込み肘を故障。未勝利のまま引退した。


第59回全国高等学校野球選手権大会(1977年) 優勝 東洋大姫路

優勝投手 松本正志

実働6年 32登板 80.1回 1勝3敗 6.83 35奪三振

キャリアハイ:1980 9登板 30.2回 1勝1敗 7.63 20奪三振

東洋大姫路の当時の梅谷監督からのスパルタ教育を受けながらエースとして成長。甲子園を制覇した。

阪急入団後は大エース梶本の背番号を受け継ぐなど期待され、一年目から日シリにも登板したが、あまりにも素直にアドバイスを聞きすぎたためにスタイルが行方不明になり、活躍できなかった。

47 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:25:10 ID:dOd

怪しくなってきたな

48 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:25:38 ID:9aq

第60回全国高等学校野球選手権大会(1978年) 優勝 PL学園

優勝投手 西田真二

投手としての実働なし (実働13年 787試合 402安打 .285 44本 226打点 21盗塁)

PL時代はエースで打の中心でもあり、後の阪神の捕手・木戸克彦とバッテリーを組んだ。浪商の牛島和彦と評価を二分するほどの注目株であった。

エースで4番として臨んだ第60回大会では「逆転のPL」と形容される準決勝・決勝での劇的な逆転勝利で全国制覇。(決勝戦のNHKでの視聴率は歴代最高の48%)

法政大学で外野手に転向。ベストナイン5度、通算3割の実績で広島に入団。守備の拙さからレギュラーは遠かったが、代打・準レギュラーとして天才的な打撃センスを発揮して活躍。通算打率.285は立派である。


第51回選抜高等学校野球大会(1979年)第61回全国高等学校野球選手権大会 (1979年)優勝 箕島高校

優勝投手 石井毅(後に木村竹志)

実働5年 85登板 143.2回 8勝4敗4S 3.63 104奪三振

キャリアハイ:1986 42登板 57回 5勝1敗2S 2.50 46奪三振

アンダースローのエースとして後の阪神・嶋田宗彦とバッテリーを組み春夏連覇。特に夏の3回戦では石川の星稜高校相手に、甲子園史上でも最高の試合と名高い延長18回に及ぶ劇的な死闘を制している。

社会人を経て西武に入団するも腰痛から十分に活躍できず。引退後は少年野球指導や独立リーグで精力的に活動している。

49 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:26:45 ID:9aq

第52回選抜高等学校野球大会(1980年) 優勝 高知商業

優勝投手 中西清起

実働13年 477登板 986.2回 63勝74敗75S 4.21 633奪三振

キャリアハイ:1985 63登板 107.2回 11勝3敗19S 2.67 83奪三振

高知商業時代は選抜の決勝で後のヤクルト・伊東昭光擁する帝京に投げ勝ち優勝。

社会人を経て阪神入団。初年度からリリーフとして活躍し、山本和行とのダブルストッパーで1985年の優勝・日本一に貢献。1985年優勝時の胴上げ投手でもある。

引退後はコーチとしてJFKなどの親の一人として投手陣を整備、今も阪神の投手コーチである。

50 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:27:23 ID:9aq

第62回全国高等学校野球選手権大会 (1980年)優勝 横浜高校

優勝投手 愛甲猛

実働3年 61登板 47回 0勝2敗 6.70 23奪三振 (実働20年 1532試合 1142安打 .269 108本 513打点 52盗塁)

キャリアハイ:1983 48登板 24.2回 0勝0敗 4.38 16奪三振

横浜高校では1年からエースで、3年夏は決勝で甲子園のアイドルと名高かった早実のエース・荒木大輔に投げ勝ち全国制覇。

彼自身も女性人気の高い選手だったが、同時にここじゃ書ききれないくらいにはやんちゃ。卒業間際には暴行事件も起こしていたりもする。

ロッテに入団するも伸び悩み野手転向。落合博満に弟子入りする、猛練習故に愚痴をこぼすも一蹴され(愛甲「これでも甲子園優勝投手ですよ」→落合「そんなに甲子園がいいなら甲子園に帰ればいい」)、プライドを捨て実力を付けた。オッチにはなんだかんだ可愛がられた模様。

その後ロッテの主力選手として活躍。1990年には21本塁打を記録している。怪我にも強く694試合連続出場の記録も持つ。前述のようにやんちゃだったが、ファンサービスはしっかりしていたという。

51 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:31:08 ID:9aq

第53回選抜高等学校野球大会(1981年) 優勝 PL学園

優勝投手 西川佳明

実働6年 110登板 508.2回 25勝39敗1S 4.95 238奪三振

キャリアハイ:1986 26登板 159.2回 10勝10敗1S 3.89 75奪三振

チームメイトには巨人・吉村禎章や南海・若井基安らがいる。第53回選抜では5試合45回を防御率0.20で投げ抜き、決勝では逆転タイムリーで制覇。

法政大学でも通算30勝を挙げ、ロサンゼルスオリンピック日本代表の一員として金メダルに貢献した。

南海に入団後は初年度から10勝10敗の好成績をあげるもののそこから次第に低迷。ノーノーを一度達成している。


第63回全国高等学校野球選手権大会 (1981年) 優勝 報徳学園

優勝投手 金村義明

投手としての実働なし (実働18年 1262試合 939安打 .258 127本 487打点 34盗塁)

関西人やと何かと馴染みあると思われる近鉄OB。エースで4番として活躍し甲子園での通算打率は.577。

近鉄入団後は早々に内野手転向。いてまえ打線の一員として活躍。しかし鈴木啓示監督との確執から中日にFA移籍するものの活躍できず、そこから西武に移籍後はいぶし銀の活躍の後に引退。


第54回選抜高等学校野球大会(1982年) 優勝 PL学園

優勝投手 榎田健一郎

実働3年 7登板 9.2回 0勝0敗 13.97 2奪三振

キャリアハイ:1983 3登板 4.1回 0勝0敗 12.46 0奪三振

後の南海・森浩之とバッテリーを組み、PL学園の春連覇に貢献。春連覇は戦後では初であった。

しかしプロでは腰痛もあり、通用しなかった。

52 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:32:30 ID:9aq

第64回全国高等学校野球選手権大会(1982年) 優勝 池田高校

優勝投手 畠山準

実働4年 55登板 228回 6勝18敗 4.74 99奪三振 (実働16年 862試合 483安打 .255 57本 240打点 8盗塁)

キャリアハイ:1984 32登板 153回 5勝12敗 4.24 62奪三振

「攻めダルマ」と渾名される蔦文也監督率いる池田高校のエース。

監督の指導のもと金属バットを最大限に活かすための筋力トレーニングを重点的に行なっていくことで構成された「やまびこ打線」の主軸として活躍。後輩の水野雄仁と共にチームを優勝へと導き、旋風を起こした。

その後南海に入団するも投手としては伸び悩み、野手転向した後に自由契約。横浜に入団した後は準レギュラーとして活躍し、マシンガン打線全盛期・日本一の98年では代打の切り札として活躍した。


第55回選抜高等学校野球大会(1983年) 優勝 池田高校

優勝投手 水野雄仁

実働11年 265登板 660回 39勝29敗17S 3.10 519奪三振

キャリアハイ:1987 24登板 107回 10勝4敗 2.61 82奪三振

「阿波の金太郎」と渾名された池田高校のエース。前述の畠山の後輩。畠山の後を受けエースで4番として池田高校の夏春連覇に貢献。

池田高校の全盛期の中心人物的選手で、やはりその裏打ちとして計画的な猛トレーニングがあった模様。

83年の第65回大会では史上初の夏春夏3連覇を見据えて勝ち進んでいったが、準決勝で清原・桑田のKKコンビ擁するPLに敗れた。

プロ入り後は先発・中継ぎ・抑えと幅広く活躍。一度引退した後にメジャーを目指したこともある。

53 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:33:55 ID:9aq

第65回全国高等学校野球選手権大会(1983年)第67回全国高等学校野球選手権大会(1985年)   優勝 PL学園

優勝投手 桑田真澄

NPB実働20年 442登板 2761.2回 173勝141敗14S 3.55 1980奪三振

MLB実働1年(2007) 19登板 21回 0勝1敗 9.43 12奪三振

キャリアハイ:1987 28登板 207.2回 15勝6敗 2.17 151奪三振

かつて清原和博と並んでKKコンビと呼ばれ、甲子園史に残る活躍で一世を風靡した選手。

入学投手は期待されていない選手だったが、臨時投手コーチとして招集した清水一夫の目に止まり、マンツーマンの指導を受ける。

そして1年生・背番号11ながら事実上のエースとして甲子園に進出。前述の水野擁する池田高校を打ち破り、最年少優勝投手として甲子園を制覇。ちなみに甲子園後に監督に練習改革案を具申して了承された模様。ちょっと凄すぎんよ~

そこから清原らと共に打ち立てた戦績は第56回選抜・準優勝、第66回全国大会・準優勝、第57回選抜・ベスト4、第67回全国大会・優勝というもの。高1から高3までの計5回の甲子園出場機会にすべて出場し、通算甲子園戦績は20勝3敗の歴代2位である。

打者としても優秀で高校通算25本、甲子園では清原に次ぐ歴代二位の6本のホームランを放っている。すべてが規格外である。

巨人入団後も安定した成績を残し続け、途中怪我で泣くシーズンもありながらも173勝をマーク。守備にも優れて8度のゴールデングラブ賞にも輝いている。

最晩年にはメジャーにも挑戦している。巨人での実働20年173勝は、夏の甲子園優勝投手では異例とも言える実績であり、戦後の夏の甲子園優勝投手では最多の勝利数である。

54 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:34:26 ID:9aq

ここらへんは甲子園について語る番組でよく語られる人なので知ってる人は多いかもですね

55 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:36:03 ID:HCZ

池田PLとかもうおとぎ話の世界ですわ

56 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:36:08 ID:9aq

第56回選抜高等学校野球大会(1984年) 優勝 岩倉高校

優勝投手 山口重幸

投手としての実働なし(実働8年 283試合 41安打 .202 1本 15打点 2盗塁)

選抜では吉田剛擁する取手第二高、KKコンビ擁するPL学園らを破って優勝。しかし夏は甲子園出場が叶わなかった。

プロ入り後は阪神で内野手に転向し守備固めとして活躍。ヤクルト移籍後95年の日本一にも控えとして貢献している。

引退後はプロでは投手経験なしで打撃投手になっている。


第66回全国高等学校野球選手権大会(1984年) 優勝 取手第二高校

優勝投手 石田文樹

実働3年 25登板 33.1回 1勝0敗 4.59 22奪三振

キャリアハイ:1990 17登板 22回 0勝0敗 2.86 17奪三振

木内幸男率いる取手第二高校のエース。同期には近鉄・阪神の内野手吉田剛。

この年の選抜では岩倉高校に敗れるも、夏の大会ではKKコンビ擁するPL学園を破り優勝。

大学・社会人を経て横浜大洋ホエールズに入団。主に中継ぎだったが、大きな成績は残せなかった。

57 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:36:39 ID:9aq

第57回選抜高等学校野球大会(1985年) 優勝 伊野商業

優勝投手 渡辺智男

実働8年 123登板 725.2回 45勝40敗2S 3.73 502奪三振

キャリアハイ:1991 22登板 157回 11勝6敗 2.35 119奪三振

選抜では伊野商業のエースとして、下馬評の低かったチームを引っ張った。特に準決勝ではPL学園をわずか1失点に封じ込め、選抜を制覇。

卒業後はNTT四国に進み、ソウル五輪日本代表として銀メダリストになっている。

西武に入団後は日シリで桑田と投げ勝つなど、一年目から3年連続二桁勝利を達成するも、そこから低迷。

58 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:36:52 ID:9aq

第59回選抜高等学校野球大会(1987年)第69回全国高等学校野球選手権大会(1987年) 優勝 PL学園

優勝投手 野村弘(後に野村弘樹)

実働15年 301登板 1534回 101勝88敗 4.01 998奪三振

キャリアハイ:28登板 179.1回 17勝6敗 2.51 137奪三振

PL学園では桑田の弟・桑田泉、立浪和義、片岡和義、橋本清、宮本慎也というスター集団を揃えた強力チームのエースで4番として君臨。

スタミナがなかったので、右のエース橋本清・左のエース野村弘の2枚看板で史上4校目の春夏連覇を達成。

横浜に入団後は優れた制球力、多彩な変化球・投球術で90年台の横浜のエースとして活躍。98年でもエースとして13勝を挙げ、日本一に貢献した。


優勝投手 橋本清

実働6年 134登板 187.2回 9勝12敗8S 3.17 186奪三振

キャリアハイ:1993 52登板 88.1回 6勝4敗3S 1.83 91奪三振

PL学園の右のエース。野村との二枚看板でKKコンビも成し得なかった春夏連覇に貢献。

巨人入団後は6年目にリリーフとして開花。90年代半ばの巨人で石毛博史と共に勝利の方程式を築いた。

59 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:39:28 ID:aIZ

やっぱ桑田って偉大だわ

60 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:39:39 ID:9aq

ここまでが戦後昭和の甲子園優勝投手となります

80年台は池田高校→PL学園の全盛期ですね

79年の箕島・石井毅投手はあの有名な星稜高校との延長18回にも関わってる投手ですし80年代前後の甲子園は特にドラマがある感じですね

61 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:41:36 ID:9aq

ではここから平成の選手たちとなります

知ってる人も増えてくと思いますよ

62 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:41:49 ID:9aq

第61回選抜高等学校野球大会(1989年) 優勝 東邦高校

優勝投手 山田喜久夫

実働8年 222登板 263回 6勝8敗 3.76 184奪三振

キャリアハイ:1992 44登板 91回 2.67 71奪三振

阪口慶三監督率いる東邦高校で一年からエース。甲子園では第60回選抜で準優勝、第61回選抜で優勝して昨年のリベンジを果たす。

プロでは主に中日で中継ぎとして活躍。かの10.8決戦でも2番手で登板。登録名が個性的なことでも有名(山田喜久夫→キク山田→キク)。


第71回全国高等学校野球選手権大会(1989年) 優勝 帝京高校

優勝投手 吉岡雄二

投手としての実働なし(実働15年 1012試合 883安打 .273 131本 463打点 28盗塁)

帝京のエース。第71回大会では5試合投げて3完封、失点は1のみの大活躍で優勝の立役者に。高校通算51本塁打と打撃にも優れていた。

巨人入団後に肩を故障し内野手コンバート、ベンチを暖めることが多く近鉄にトレードされる。その近鉄で才能が開花し、いてまえ打線の主軸の一人として01年の優勝に貢献。

楽天創成期の選手としてもいぶし銀の活躍を見せた。引退後は独立リーグでコーチをしながら石橋ジャパンの一員として熱い帝京魂を見せつけている。多分最近の人はこっちで知っているんじゃないかな。

63 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:42:54 ID:9aq

第72回全国高等学校野球選手権大会(1990年) 優勝 天理高校

優勝投手 南竜次

実働3年 11登板 12.2回 0勝0敗 12.08 7奪三振

キャリアハイ:1992 6登板 6.2回 0勝0敗 10.80 3奪三振

天理のエース。第62回選抜と第72回大会に出場し、夏の甲子園を制覇。夏の大会ではイチローとも対戦している。

日ハムに入団するも故障から活躍できず未勝利に終わる。


第73回全国高等学校野球選手権大会(1991年) 優勝 大阪桐蔭

優勝投手 背尾伊洋

実働2年 22登板 55.1回 1勝2敗 3.67 41奪三振

キャリアハイ:1996 18登板 49回 1勝2敗 3.67 40奪三振

近年の大阪の強豪・大阪桐蔭の二番手投手。エース和田友貴彦に次ぐ投手として、決勝戦にも登板するなど、初出場の大阪桐蔭の初の全国制覇に貢献。創部4年目での全国制覇は最速。

近鉄に入団後は伸び悩み、96年にそこそこ活躍するもそれきりであった。

64 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:43:19 ID:9aq

第64回選抜高等学校野球大会(1992年) 優勝 帝京高校

優勝投手 三澤興一

実働9年 296登板 445回 28勝18敗6S 3.98 306奪三振

キャリアハイ:2000 41登板 65.2回 1勝1敗1S 2.33 38奪三振

帝京では4度甲子園に出場。通算29本塁打のエースで4番であった。早稲田大学でも通算31勝を挙げるなどエースとして活躍。アトランタ五輪の日本代表に選ばれ、日本の銀メダルに貢献。

プロ入り後は主に巨人・近鉄で中継ぎで活躍。特に近鉄時代はビハインドリリーフとして辛抱強く投げ、いてまえ打線の爆発による逆転劇を呼ぶことも多かった。

晩年はアメリカ独立リーグ等でも活躍。松井秀喜とは親友である。


第68回選抜高等学校野球大会(1996年) 優勝 鹿児島実業

優勝投手 下窪陽介

投手としての実働なし (実働4年 96試合 34安打 .238 0本 9打点 1盗塁)

球威のあるボールを駆使するエースとして、鹿児島勢初の全国制覇を達成。大学で肩を故障し、外野手に転向。

社会人を経て横浜に入団。一年目は対左成績の良さを買われて少ない出番でまずまずの結果を残すも、以降結果を残せず引退。


第69回選抜高等学校野球大会(1997年) 優勝 天理高校

優勝投手 長崎伸一

実働4年 14登板 30.2回 0勝4敗 7.63 20奪三振

キャリアハイ:2002 2登板 10回 0勝2敗 6.30 4奪三振

天理卒業後はプリンスホテルを経てロッテに入団するも定着できずに引退。

引退後から現在もロッテの打撃投手である。

65 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:45:18 ID:9aq

第70回選抜高等学校野球大会(1998年)第80回全国高等学校野球選手権大会(1998年) 優勝 横浜高校

優勝投手 松坂大輔

NPB実働8年(~2006) 204登板 1402.2回 108勝60敗1S 2.95 1355奪三振

MLB実働8年 158登板 790.1回 56勝43敗1S3H 4.45 720奪三振

キャリアハイ:2006 25登板 186.1回 17勝5敗 2.13 200奪三振

2015シーズン:一軍出場なし

20世紀末の甲子園で躍動した平成の怪物。彼の名前もかつて甲子園のアイドルとしてフィーバーを起こした荒木大輔から取られたもの。

横浜高校では入学時は現在タレントの上地雄輔、上地の引退後は現在中日のブルペン捕手である小山良男とバッテリーを組んだ。かつては練習嫌いだったが、自身の暴投で敗戦した試合をきっかけに猛練習。

女房の小山や、後藤武敏、小池正晃らチームメイトと共に第70回選抜、第80回大会を制覇して春夏連覇を達成。

特に夏の大会では現在アナウンサーの上重聡、後にプロ入りする大西宏明・平石洋介・田中一徳ら擁するPL学園と準々決勝で激突。今でも語り草である延長17回に及ぶ死闘を一人で250球投げきり完投。

決勝の京都成章高校を高校野球史に残る伝説の投手・嶋清一以来59年ぶりのノーヒットノーランでシャットアウトする快挙を成し遂げている。甲子園の後のAAAアジア選手権でも優勝投手になっている。

プロ入り後も西武で一年目から3年連続最多勝を達成するなどパを代表するエースとして躍動。その後メジャーに挑戦し、次第に低迷しながらも通算56勝を挙げた。

2004年のアテネ五輪も活躍し銅メダリスト。二度のWBCでも二大会連続のMVPに輝くなど日本の二連覇に貢献。国際試合でもこれ以上ない活躍を見せている。

2014年オフにソフトバンクでNPB復帰。しかし現在はまさかのペニー並の状態である。かつての怪物はこのまま終わってしまうのか、はたまたもう一度マウンドで躍動するのか・・・。

66 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:45:40 ID:8Xz

>>65

松坂キター

70 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:49:02 ID:pYn

>>65

や松凄

ところで2014オフ~以降の文章がなんか読めんのやけど…

72 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:49:49 ID:9aq

>>70

いや松坂は今もきっとメジャーで頑張ってますから(遠目)

69 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:48:01 ID:9aq

第81回全国高等学校野球選手権大会(1999年) 優勝 桐生第一

優勝投手 正田樹

NPB実働8年 123登板 486.1回 25勝38敗4H 4.70 263奪三振

CPBL実働2年 59登板 324.1回 25勝11敗1H 3.60 231奪三振

キャリアハイ:2002 23登板 156.2回 9勝11敗 3.45 90奪三振

一年先輩に元中日・小林正人。一年後輩に元楽天・一場靖弘と大廣翔治。桐生第一のエースとして甲子園で3完封。群馬勢初の全国制覇を成し遂げた。

日ハムに入団後は2002年に新人王を獲得するなど先発でまずまずの活躍。しかし次第に低迷して、阪神に移籍した後に自由契約に。

その後、台湾球界の興農ブルズで二年連続二桁勝利するなど活躍。メジャーにも挑戦した後2012年にヤクルトでNPBに復帰し、中継ぎとしてまずまず以上の成績を残すも自由契約に。

現在は日本の独立リーグでプレイしている。まだ(33)なのでもしかしたらどこか取るかも?


第83回全国高等学校野球選手権大会(2001年) 優勝 日大三高

優勝投手 近藤一樹

実働11年(~2014) 117登板 565.2回 28勝39敗1H 4.45 412奪三振

キャリアハイ:2008 25登板 149回 10勝7敗 3.44 89奪三振

2015シーズン7/28現在:5登板 23回 1勝0敗 3.13 17奪三振

日大三高のエースとして春夏連続出場に貢献。夏の83回大会で全国制覇を達成した。チームメイトに内田和也・千葉英貴・都築克幸がおり、彼らとともにドラフトで指名された。同一校の選手が同じドラフトで4名選ばれたのは最多タイである。

近鉄に入団した後は球団合併間際の2004年に初勝利、その後はオリックスで二桁勝利を達成するも、近年低迷が続いていた。

2011年以降勝利がなかったが、今季は先発としてまずまずの成績を残しており、4年ぶりの勝利を手にすることが出来た。数少ない近鉄戦士としてまだまだ頑張ってほしいものである。

71 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:49:26 ID:Tz5

やっぱ桑田って伝説だわ

あと松坂も

73 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:50:46 ID:9aq

ここらへんから次第と現役選手も増えていきますよ~ 増える増える

74 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:50:57 ID:9aq

第74回選抜高等学校野球大会(2002年) 優勝 報徳学園

優勝投手 大谷智久

実働5年(~2014) 150登板 324.2回 12勝23敗34H 3.77 194奪三振

キャリアハイ:2014 49登板 60.1回 2勝2敗23H 1.94 40奪三振

2015シーズン7/28現在:38試合 45回 1勝1敗22H 2.60 35奪三振

報徳のエースとして選抜では巨人・西村健太朗ら擁する広陵高校、日ハム須永擁する浦和学院、中日・谷哲也擁する鳴門工業を破り、全試合完投で全国制覇。チームメイトには元日ハムの尾崎匡哉が居た。

早稲田大学、トヨタ自動車を経てロッテ入団。ロッテでは主に中継ぎとして活躍。現在は抑えである西野勇士に繋ぐチームのセットアッパーである。

なんJ・おんJでは日ハムの大谷翔平と同姓であったがために「大谷じゃない方の大谷」扱いされることも多いが、チームの主力として活躍している。

108 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:17:37 ID:EBd

>>74

エリートの方の大谷の実績


プロ入り前

岡山県新見市生まれ。

小学生の時に神奈川県横浜市の「荏田ブランチーズ」でソフトボールを始め、

大阪府の茨木市立西陵中学校在学時は軟式野球部に所属し大阪大会優勝。


報徳学園高校に進学後は2年春からエースとなり、尾崎匡哉らと共に3年時にはセンバツに出場して

西村健太朗・白濱裕太らを擁する広陵高校、須永英輝を擁する浦和学院高校、谷哲也を擁する鳴門工業高校などを破り優勝。

自身は初戦から決勝戦までの6日間で5試合を全て完投した。

夏は兵庫大会決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校を破り、夏の甲子園に春夏連続となる出場を果たすも1回戦で浦和学院高校に敗れた。


高校卒業後は東京六大学野球連盟所属の早稲田大学スポーツ科学部に進学し、1年春からリーグ戦で登板。

2年時以降は主戦格となり、リーグ戦通算51試合登板、18勝8敗、防御率1.79、202奪三振の成績を残し、4年春には最優秀防御率のタイトルを獲得した。


社会人野球のトヨタ自動車に入社後も1年目から公式戦で登板し、都市対抗野球大会と社会人野球日本選手権大会に3年連続で出場。

選手権大会では2007年、2008年と2連覇して後者では最優秀選手賞を受賞し、2009年の第80回都市対抗野球大会では準優勝して優秀選手賞を受賞。

75 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:51:43 ID:pYn

あ、野球エリートだ

76 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:52:20 ID:9aq

第75回選抜高等学校野球大会(2003年) 優勝 広陵高校

優勝投手 西村健太朗

実働11年(~2014) 397登板 675.1回 38勝32敗81S65H 3.08 470奪三振

キャリアハイ:2013 71登板 71.2回 4勝3敗42S10H 1.13 71奪三振

2015シーズン7/28現在:1登板 1回 0勝0敗 9.00 0奪三振

広陵高校では1年秋からエース。広島・白濱裕太とバッテリーを組み、第75回選抜では決勝で成瀬善久・涌井秀章擁する横浜高校を決勝で破り優勝した。一年後輩に阪神・上本博紀。

巨人では入団より先発に中継ぎと様々なポジションで投げ、2008年は主力中継ぎのひとりとして活躍、2011年には先発・中継ぎで規定にギリギリ足りないながらも1点台を叩きだすと、その翌年から抑えとして定着。

スコット・マシソン、山口鉄也と共に「スコット鉄太朗」とも呼ばれる方程式を構築し、2012年からの巨人のV3の主力として活躍している。

しかし昨シーズンはやや安定感に欠け、今シーズンは登板機会もないという活躍度の割にどうも信頼されておらず、あまり扱いもよくない印象が拭えない。現在FA権を持っているが果たして・・・?

ちなみに球界屈指のアニオタとしても有名。かつて「ハレ晴レユカイ」を選手登場曲に所望したのは奥さんの勧めらしい。夫婦揃ってアニオタなのだろうか。

78 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:53:05 ID:kce

>>76

なんで2003夏は岩国に負けたんだろう?

79 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:53:50 ID:9aq

>>78

それが甲子園のマモノというか(適当)

77 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:52:43 ID:T7R

大谷きたー今年も頑張ってるで

80 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:54:05 ID:9aq

第76回選抜高等学校野球大会(2004年) 優勝 済美高校

優勝投手 福井優也

実働4年(~2014) 67登板 284.2回 14勝20敗 4.52 223奪三振

キャリアハイ:2011 27登板 146.1回 8勝10敗 4.12 120奪三振

2015シーズン7/28現在:12登板 72回 6勝3敗 3.38 52奪三振

上甲正典監督率いる済美高校のエース。「やればできる」をモットーに、選抜では愛工大名電との選抜初のナイターでの決勝を制し優勝。夏の決勝も風邪を引きながら自ら登板、しかし駒大苫小牧に敗れた。一年先輩には日ハム・鵜久森淳志がいる。

一浪した後に早稲田大学に入学。斎藤佑樹・大石達也らと主力として活躍。ドラフトでは斎藤・大石らと主に指名されたが、競合してくれるかとおもいきや単独指名だったので「もうないじゃん・・・」とコメント。なんでや!広島からの指名あるやろ!

広島では一年目に8勝。伸び悩みつつもコンスタントに活躍している。2014オフに復帰した黒田にも闘争心を見せるなどストイックな性格であり、2015シーズンはローテの一角として活躍している。

同期の斎藤・大石らと比較すると現状最も活躍している投手だと思われる。このまま黒田のように広島のエースになれるだろうか?

81 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:55:34 ID:9aq

第87回全国高等学校野球選手権大会(2005年) 優勝 駒大苫小牧

優勝投手 田中将大

NPB実働7年 175登板 1315回 99勝35敗 2.30 1238奪三振

NLB実働1年 20登板 136回 13勝5敗 2.77 141奪三振

キャリアハイ:2013 28登板 212回 24勝0敗1S 183奪三振

2015シーズン7/28現在:13登板 81.2回 7勝3敗 3.64 81奪三振

皆さんご存知「マー君」。駒大苫小牧は主戦級の投手を数人用意しており、その中でも二年生ながら実質的なエースとして活躍。直球とスライダーを武器に駒大苫小牧の夏2連覇に貢献。夏2連覇は57年ぶり・6校目の偉業であった。

第78回選抜でも優勝候補だったが、不祥事で出場辞退。第88回大会では史上2校目の夏3連覇を目標に、体調を崩していたもののエースとして活躍。

決勝では斎藤佑樹擁する早稲田実業と熱闘を繰り広げ、37年ぶりとなる決勝引き分け再試合の末に、駒大苫小牧の最後の打者として早稲田実業に敗れる。

楽天入団後は1年目から11勝、新人王を獲得するなどパを代表するエースとして大活躍。2011年のダルビッシュとの熾烈な最優秀防御率争い(この年の防御率1.27)や2013年の24勝0敗などというおかしな成績を打ち立て、楽天の球団初の優勝・日本一を引っ張った。

現在はメジャー挑戦し、ヤンキースで二桁勝利を達成している。今季もローテの一角として活躍しており、今後の活躍も期待される。

球界屈指のアイドルオタクであり、様々なグループのライブに行っている模様。奥さんも元アイドルの里田まいである。筋金入りも良いところである。

挙句の果てにはスマホ版パワプロで自身がサクセスをプロデュースしたが、「かわいい女子選手しかいない野球部」とかいうギャルゲーじみた内容である。これでは野球が出来るキモオタ呼ばわりされても仕方のない事だろう。

83 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:58:35 ID:BxE

>>81

なんだかんだで今年も2ケタは勝てそうやな

2ケタ勝つ程度で許される年俸ちゃうけど

82 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:57:32 ID:9aq

第88回全国高等学校野球選手権大会(2006年) 優勝 早稲田実業

優勝投手 斎藤佑樹

実働4年 45登板 241回 13勝16敗 3.66 142奪三振

キャリアハイ(~2014):2011 19登板 107回 6勝6敗 2.69 62奪三振

2015シーズン7/28現在:7登板 14回 0勝1敗 9.00 6奪三振

「ハンカチ王子」の愛称で甲子園でフィーバーを起こした投手。

2005年の明治神宮野球大会で駒大苫小牧と戦い、この時は敗戦。この時、田中将大と初めて投げ合っている。

翌年の第78回選抜ではベスト8、夏の第88回大会では中田翔擁する大阪桐蔭などを破り決勝進出。再び田中将大擁する駒大苫小牧と戦い、37年ぶりの決勝引き分け再試合の熱戦の末に甲子園優勝。

凄まじいタフネスを見せており、一大会投球回69・球数948は史上最多。奪三振78は板東英二に次ぐ歴代2位であった。

第61回国体でも決勝で駒大苫小牧と三度戦うが、再び勝利し国体も制した。

早稲田大学でも1年から主戦投手で活躍。大学通算31勝323奪三振で、東京六大学では史上6人目の30勝300奪三振を達成。

日ハムに入団し一年目・二年目はまずまずの成績を残したものの、肩の違和感などもあり現在は低迷している。

アマチュア球界では歴代屈指の成績を残しているだけに、奮起を期待したいところ。

前述のとおり「ハンカチ王子」と呼ばれていたが、今のなんJおんJではもっぱら「てょ」である。

84 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:59:02 ID:9aq

第79回選抜高等学校野球大会(2007年) 優勝 常葉菊川

優勝投手 田中健二朗

実働5年(~2014):41登板 91回 2勝4敗 4.45 68奪三振

2015シーズン7/28現在:35登板 32.2回 2勝2敗16H1S 2.20 29奪三振

常葉菊川ではエースとしてチームを牽引。選抜を制覇した次の第89回大会では春夏連覇を目指すも野村祐輔擁する広陵高校の前に敗れた。が、平成においての静岡県勢初のベスト4に導いた。

横浜に入団し、期待されながらも長い間伸び悩んでいた。しかし今季に入りセットアッパーとして活躍。自身初のオールスターに選ばれるなど、飛躍の年となると思われる。

85 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)22:59:34 ID:kce

>>84

がんばれ

静岡県民だから応援してるよ

94 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:04:06 ID:clG

>>84

優勝投手はじめて知った…

86 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:00:19 ID:9aq

第80回選抜高等学校野球大会(2008年) 優勝 沖縄尚学

優勝投手 東浜巨

実働2年(~2014):12登板 64回 5勝3敗 3.38 55奪三振

キャリアハイ:2013 5登板 28.2回 3勝1敗 2.83 25奪三振

2015シーズン7/28現在:2登板 9.2回 0勝1敗 8.38 7奪三振

選抜では5試合で41回を投げて防御率0.66という安定感で沖縄尚学を優勝に導く。亜細亜大学では東都リーグを代表する投手として活躍。リーグ新記録の通算22完封を樹立。

ソフトバンク入団後はあまり登板する機会がないが完封するなどコンスタントに活躍、しかし今シーズンは今のところダメな成績である。ファームでは好成績であり、出番の少なさはソフトバンクの層が厚いのもあるのだろうが。

87 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:00:58 ID:BxE

>>86

この人もパッとしないなあ

88 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:01:04 ID:9aq

第81回選抜高等学校野球大会(2009年) 優勝 清峰高校

優勝投手 今村猛

実働5年(~2014) 199登板 269.2回 8勝17敗9S57H 3.60 237奪三振

キャリアハイ:2012 69登板 85.2回 2勝2敗4S26H 1.89 89奪三振

2015シーズン7/28現在:13登板 14回 1勝1敗 5.14 15奪三振

選抜では5試合で防御率0.20という圧倒的な安定感を見せ、決勝では菊池雄星擁する花巻東と対決し、1-0で勝利。春夏通じて長崎県勢初の優勝に導いた。

卒業後広島に入団。期待されており、2年目から50試合に登板。3年目にはセットアッパーに定着するなど順調かと思われたが、登板数やイニングの多さが祟ったのか去年から低迷気味である。

ファンからは大瀬良・一岡らともにカピパラ扱いされて親しまれている。

89 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:01:38 ID:9aq

第91回全国高等学校野球選手権大会(2009年) 優勝 中京大中京

優勝投手 堂林翔太

投手としての実働なし(実働3年 342試合 267安打 .235 28本 114打点 16盗塁)

2015シーズン7/28現在:21試合 6安打 .194 0本 0打点 0盗塁

中京大中京のエースで4番。2009年の春夏ともに打率5割以上をマークするなど投打でチームを牽引。決勝の日本文理戦でも先発し、8回裏時点で10-4のスコア。優勝は目前であった。

しかしこれで終わらないのも甲子園。「日本文理の夏はまだ終わらない!」の実況で有名な日本文理の逆襲が開始。堂林はマウンドを守りきれずライトに回り、結果的に10-9のスコアで辛勝し、全国制覇。

なお優勝するもマウンドを守れずここまで追い詰められた堂林はインタビューでボロ泣きし、日本文理ナインは清々しい表情であった。仕方ないね。

プロ入り後は野手転向。2012年には違反球でありながら14本を放つなど長打力を発揮しているが、安定感に欠けいまいち定着できない。ポテンシャルはあるので安定感を求められるところ。

90 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:02:43 ID:9aq

第82回選抜高等学校野球大会(2010年)第92回全国高等学校野球選手権大会(2010年) 優勝 興南高校

優勝投手 島袋洋奨

一軍出場なし

独自のトルネード投法で興南のエースとして活躍、同校を春夏連覇(史上6校目)に導き沖縄県勢初の夏制覇を成し遂げた。

中央大学に進学するも肘を故障。大学通算でも負け越し、ドラフトでの評価は低かった。ソフトバンクに入団するも、ファームでも現状ボロボロである・・・

92 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:03:27 ID:kce

>>90

がんばってくれ

甲子園のヒーロー・・・

91 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:03:08 ID:gEG

甲子園優勝投手を二年連続でとった広島はさぞ強いんやろな

93 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:03:31 ID:9aq

第84回選抜高等学校野球大会(2012年)第94回全国高等学校野球選手権大会(2012年) 優勝 大阪桐蔭

優勝投手 藤浪晋太郎

実働2年(~2014) 49登板 300.2回 21勝14敗 3.17 298奪三振

キャリアハイ:2013 24登板 137.2回 10勝6敗 2.75 126奪三振

2015シーズン7/28現在:17登板 122.1回 8勝5敗 2.43 132奪三振

一年後輩の後の西武・森友哉とバッテリーを組み、大阪桐蔭のエースとして選抜では全試合150km/hをマークし、決勝でロッテ・田村龍弘や阪神・北條史也擁する光星学院を破り優勝。

夏もタフネスと豪速球で勝ち進み、決勝も春と同じ光星学院であったが、準決勝・決勝を連続完封で春夏連覇を達成。国体でも優勝し、史上3校目の三冠を達成した。

スパイスの神の手により阪神に入団し、一年目から連続で二桁勝利を達成するなど早くから活躍。既に虎のエースとしてチームの柱になっており、阪神に欠かせない選手である。

同期の二刀流の怪物・大谷翔平とは何かと比べられやすいが、彼も甲子園優勝投手としては順調すぎるくらいに順調な成績を残しており、セを代表するエースとして球界を引っ張っていくだろう投手の一人であるだろう。

大谷との仲も高校時代から良好であり、彼の野獣の視線をまざまざと受ける身でもある。

97 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:05:17 ID:HCZ

>>93

最後ちょっと何かいてあるか読めないですね(すっとぼけ)

95 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:04:42 ID:9aq

第94回全国高等学校野球選手権大会(2013年) 優勝 前橋育英

優勝投手 高橋光成

一軍出場なし

2年生ながら前橋育英のエースとして、同校を初出場初優勝の快挙に導いた。大会での防御率は0.36と圧倒的である。二試合連続1-0完封という37年ぶり3人目の快挙も成し遂げている。

2014ドラフトで西武に入団、現在はファームのローテを早くも守っており、まずまずの成績。躍進が期待される。

99 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:05:58 ID:cFd

これ春?

100 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:06:15 ID:BxE

>>99

春夏ごっちゃやと思う

101 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:06:26 ID:pYn

>>99

両方やと思う

102 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:06:42 ID:9aq

>>99

春夏どちらも合わせての甲子園優勝投手ですね

104 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:09:25 ID:kce

実際は全く活躍できてないって程でもないんやな

106 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:11:43 ID:9aq

以上が初めて甲子園優勝投手がプロ入りした1925~優勝投手が最後にプロ入りした2013までの甲子園優勝投手でした


ただいまデータをまとめているのでしばしお待ちを

96 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:05:17 ID:gEG

大谷と比べられるからあれやけど藤浪も凄まじいで

98 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:05:32 ID:pYn

藤浪ほど甲子園の申し子って言葉が似合う投手はおらんと思う

109 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:21:28 ID:mv1

>>98

阪神が甲子園優勝投手を直接釣り上げたのって80年の歴史の中で藤村のおっちゃんと藤浪だけよな?


あと、もっと驚くべきは地元の名門PLから直接入団したのがパイプこと桜井広大ただ1人ということ

111 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:24:53 ID:pYn

>>109

こマ?やス神

桜井が大成しとったらエース桐蔭、四番PLが観れたのか(恍惚)

112 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:27:59 ID:mv1

>>111

いや、おもくそスカウトの怠慢やと思うで…

球団事務所が甲子園の中にあんのになんで甲子園大会チェックしてへんのやと


たとえば大和なんて、スカウトが全くノーマークやったのを、たまたまどん様が甲子園のテレビ中継見ててあいつはイケると編成に進言したんやろ

むちゃくちゃな話やで…

113 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:29:37 ID:pYn

>>112

>たまたまどん様が甲子園のテレビ中継見てて


えっ何それは(困惑)

114 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:32:53 ID:hRK

>>112

やっぱどんでんって神やわ

115 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:37:16 ID:9aq

お待たせしました

こちらが春の甲子園優勝投手の通算勝利数ランキングです


野口二郎  237勝139敗    1.96 1395奪三振 1938春

平松政次  201勝196敗16S  3.31 2045奪三振 1965春

桑田真澄  173勝141敗14S  3.55 1980奪三振 1983夏

松坂大輔  108勝60敗1S   2.95 1355奪三振 1998春 ※現役

池永正明   103勝65敗    2.36 793奪三振 1963春

野村弘   101勝88敗    4.01 998奪三振 1987春

八木沢荘六 71勝66敗     3.32 567奪三振 1962春

大島信雄  64勝41敗     2.82 273奪三振 1940春

中西清起  63勝74敗75S   4.21 633奪三振 1980春

田所善次郎 56勝83敗     3.20 647奪三振 1952春

渡辺智男  45勝40敗2S    3.73 502奪三振 1985春

水野雄仁  39勝29敗17S   3.10 519奪三振 1983春

西村健太朗 38勝32敗81S65H 3.08 470奪三振 2003春 ※現役

藤村富美男 34勝11敗     2.35 183奪三振 1934春

三澤興一  28勝18敗6S    3.98 306奪三振 1992春

正田樹   25勝38敗4H    4.70 263奪三振 1999夏 ※独立リーグ

西川佳明  25勝39敗1S   4.95 238奪三振 1981春

藤浪晋太郎 21勝14敗     3.17 298奪三振 2012春 ※現役

広島尚保  19勝19敗    2.66 254奪三振 1955春

福井優也  14勝20敗     4.52 223奪三振 2004春 ※現役

116 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:38:21 ID:9aq

あ、つけ忘れましたがTOP20です

117 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:40:41 ID:Jfa

済美とかいう投手王国

118 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:42:50 ID:pYn

TOP20で12勝か…甲子園優勝投手って思うと微妙に感じてしまう

まあ野手転向やリリーフ抑えがいたりするからこんなもんか

119 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:52:20 ID:9aq

こちらが夏の通算勝利数TOP20になります

野口二郎   237勝139敗    1.96 1395奪三振 1937夏

真田重蔵   178勝128敗    2.83 1083奪三振 1940夏

桑田真澄   173勝141敗14S 3.55 1980奪三振 1983・1985夏

松坂大輔   108勝60敗1S   2.95 1355奪三振 1998夏 ※現役

尾崎行雄   107勝83敗    2.70 1010奪三振 1961年夏

野村弘     101勝88敗    4.01 998奪三振 1987夏

田中将大   99勝35敗      2.30 1238奪三振 2005夏 ※現役

中山俊丈   83勝90敗     2.55 1144奪三振 1954夏

植村義信   74勝69敗     2.69 832奪三振 1952夏

野村清     73勝73敗     3.20 376奪三振 1936夏

中山正嘉   72勝97敗     3.07 640奪三振 1935夏

空谷泰     63勝57敗     2.53 741奪三振 1953夏

藤村富美男 34勝11敗     2.35 183奪三振 1934夏 ※後に野手

近藤一樹   28勝39敗1H    4.45 412奪三振 2001夏

正田樹    25勝38敗4H   4.70 263奪三振 1999夏

藤浪晋太郎 21勝14敗     3.17 298奪三振 2012春夏 ※現役

上田卓三   13勝13敗     3.41 194奪三振 1965夏

斎藤佑樹   13勝16敗     3.66 142奪三振 2006夏 ※現役

清水宏員   10勝7敗      3.54 90奪三振 1951夏

宮武三郎   10勝7敗      3.78 45奪三振 1925夏

125 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)00:07:58 ID:ZUM

>>119

近藤に※現役がついてない…

126 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)00:08:20 ID:2UO

>>125

あ、申し訳ない

120 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:53:26 ID:9aq

傾向的には誤差ですが春のほうがやや当たりやすめなのかなと

121 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/29(水)23:54:54 ID:pYn

こうやって見ると春夏連覇するような投手はやっぱりプロでも活躍するんやね

いちおつ

123 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)00:02:03 ID:2UO

ちなみに今回挙げたプロ入りした甲子園優勝投手は82人

2013年までの選抜85回、全国大会95回を合わせた180回の大会で甲子園優勝投手が一人ずつ出たと仮定した場合(実際は複数いるケースも有りますが)

180回の大会で82人プロ入りしているので約45%の優勝投手がプロ入りしてます

実際は最初の方の大会はプロリーグがなったので5割弱~6割くらいの選手がプロ入りしてると思われます

124 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)00:03:42 ID:2UO

最後に甲子園優勝投手は平均してどれだけ投げてどれだけ勝敗ついてるのかを書いておこうと思います

しばしお待ちを

127 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)00:47:53 ID:Qau

てょは思ったよりやってるほうなのか…

128 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)01:14:46 ID:2UO

お待たせしました!

最後に甲子園優勝投手、プロで投手として入団した71人の成績をば

71人平均 実働5.8年 139.2登板 537.1回 33.5勝 29.6敗 3.4S 2.8H

129 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)01:16:54 ID:2UO

これを春夏TOP20と当てはめてみると・・・?


野口二郎  237勝139敗    1.96 1395奪三振 1938春

平松政次  201勝196敗16S  3.31 2045奪三振 1965春

桑田真澄  173勝141敗14S  3.55 1980奪三振 1983夏

松坂大輔  108勝60敗1S   2.95 1355奪三振 1998春 ※現役

池永正明   103勝65敗    2.36 793奪三振 1963春

野村弘   101勝88敗    4.01 998奪三振 1987春

八木沢荘六 71勝66敗     3.32 567奪三振 1962春

大島信雄  64勝41敗     2.82 273奪三振 1940春

中西清起  63勝74敗75S   4.21 633奪三振 1980春

田所善次郎 56勝83敗     3.20 647奪三振 1952春

渡辺智男  45勝40敗2S    3.73 502奪三振 1985春

水野雄仁  39勝29敗17S   3.10 519奪三振 1983春

西村健太朗 38勝32敗81S65H 3.08 470奪三振 2003春 ※現役

藤村富美男 34勝11敗     2.35 183奪三振 1934春

                    ←平均ライン(33.5勝 29.6敗 3.4S 2.8H)

三澤興一  28勝18敗6S    3.98 306奪三振 1992春

正田樹   25勝38敗4H    4.70 263奪三振 1999夏 ※独立リーグ

西川佳明  25勝39敗1S   4.95 238奪三振 1981春

藤浪晋太郎 21勝14敗     3.17 298奪三振 2012春 ※現役

広島尚保  19勝19敗    2.66 254奪三振 1955春

福井優也  14勝20敗     4.52 223奪三振 2004春 ※現役


野口二郎   237勝139敗    1.96 1395奪三振 1937夏

真田重蔵   178勝128敗    2.83 1083奪三振 1940夏

桑田真澄   173勝141敗14S 3.55 1980奪三振 1983・1985夏

松坂大輔   108勝60敗1S   2.95 1355奪三振 1998夏 ※現役

尾崎行雄   107勝83敗    2.70 1010奪三振 1961年夏

野村弘     101勝88敗    4.01 998奪三振 1987夏

田中将大   99勝35敗1S     2.30 1238奪三振 2005夏 ※現役

中山俊丈   83勝90敗     2.55 1144奪三振 1954夏

植村義信   74勝69敗     2.69 832奪三振 1952夏

野村清     73勝73敗     3.20 376奪三振 1936夏

中山正嘉   72勝97敗     3.07 640奪三振 1935夏

空谷泰     63勝57敗     2.53 741奪三振 1953夏

藤村富美男 34勝11敗     2.35 183奪三振 1934夏 ※後に野手

                       ←平均ライン(33.5勝 29.6敗 3.4S 2.8H)

近藤一樹   28勝39敗1H    4.45 412奪三振 2001夏 ※現役

正田樹    25勝38敗4H   4.70 263奪三振 1999夏

藤浪晋太郎 21勝14敗     3.17 298奪三振 2012春夏 ※現役

上田卓三   13勝13敗     3.41 194奪三振 1965夏

斎藤佑樹   13勝16敗     3.66 142奪三振 2006夏 ※現役

清水宏員   10勝7敗      3.54 90奪三振 1951夏

宮武三郎   10勝7敗      3.78 45奪三振 1925夏


おお・・・もう・・・

131 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)01:34:08 ID:2UO

というわけでこれにて終了します

総評としましては

・総合的に見ると平均的には100登板以上していたり、リリーフとして活躍している選手も少なくない。

・しかし勝ち星は伸び悩みにくく平均30半ば、全体的に見ても未勝利に終わる選手も少なくはない。

 つまり甲子園優勝投手だからといって活躍は特に約束されてるわけではない。

・やはりというか肩肘の違和感で野手転向したり引退する選手は多い。

・1960~80年台は甲子園優勝投手のプロ入り率は高かったが、平成に入ると大学に行ったり社会人に進んだりすることが増えている。

・残念ながら戦後では夏の甲子園優勝投手の200勝投手は居ない。春の最多勝利は平松政次。夏の最多勝利は桑田真澄


ただし平成年度だけで見れば、松坂を中心に、00年台だけでも藤浪・西村・田中(マー)・大谷(ロ)が数年度にわたって主力級の活躍をしており

福井・田中(横)・近藤・正田あたりはローテ候補だったり最近ブレイクしたりみたいな選手もいるし

今村・堂林みたいに最近やや低迷してるけどまだまだ若い選手もいるので、00年代以降の甲子園優勝投手のプロ野球選手たちは比率的にはかなり活躍出来てると個人的には思います

西武に入団した高橋光成にも期待したいところですね


それでは遅くまでお付き合いいただきありがとうございました

132 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)01:39:10 ID:Qau

>>131

サンイチ

細かくてオモシロかったで

134 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)03:01:00 ID:LKq

高橋光成君がどうなるかやな

135 : 名無しさん@おーぷん投稿日:2015/07/30(木)03:13:49 ID:tU0

なんだかんだやっぱ松坂すげぇな。