市川と組んだことあるのか
それも凄いなw
1980年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから4位で指名され入団した[1]。プロ入り後は二軍生活が長く、一軍へ昇格しても若菜嘉晴の控え捕手だったが、1988年のシーズンに古葉竹識監督に重用されて正捕手の座を獲得[1]、ポジションを失った若菜は日本ハムに移籍した。
ハーフスイングをごまかす「忍者打法」[1]や、際どい内角球をデッドボールと主張するなど[1]、数々のトリックプレーで人気を博した。1990年に監督が須藤豊に交代すると、谷繁元信の成長、秋元宏作の加入で第3の捕手の扱いとなった。そして、1993年には一軍出場なしに終わり、シーズン終了直前に高木豊や屋鋪要らとともに戦力外通告を受け現役を引退した[1]。
引退後は、台湾球界への移籍も視野に入れていたが[1]、ソニー生命に就職した[1]。またプロ野球マスターズリーグにも参加し、東京ドリームスに参加した。市川の長男も東海大学野球部に所属し、公式戦で斎藤佑樹の最後の打者として対戦している[1]。
市川はベイスターズ初年度オフに駒田獲得資金で解雇だっけ?
三浦と戸柱は大洋時代かなと思ったら中日戦だったんやな
戸柱は大洋時代から25年で1回しか組んでないんだな
今久留主には間に合わなかったのか
ってか2軍は外してるのか
多いなw
一番長く組んだのが谷繁?相川?
相川がいなくなってから短期間でいろんなキャッチャー出てきすぎ
西森とか橋本とは組んでないんだな
>>21
お橋本は三浦と入れ替わりくらいのタイミングで二軍だったしなぁ
>>20
谷繁が10年かぶり
相川が一軍定着から9年かぶるね
オールスターは?
オールスター入れたら阿部古田矢野辺りとも組んでそう
代表入れると佐世保の釣り人も追加やな
>>8
さすがにキムタクとは組まなかったんかな
キャッチャー二人だから控え捕手的な役割も受けてたけど
>>13
キムタクはアテネは捕手やってない
そもそも晩年の緊急捕手が10年ぶりとかだし
>>15
さすがに試合には出てなかったか
ブルペンでは受けてたよね
>>17
試合には出たよ
3決でタイムリー打った
どのPもこんなもんちゃうん?
>>11
暗黒期に捕手が目まぐるしく変わったからなぁ
DeNA時代だけでも鶴岡、黒羽根、高城、鶴岡、戸柱、嶺井って一軍にいたし
谷繁が移籍してなかったら、ほとんど谷繁だったんやろな
いうても内20年分ぐらいは谷繁相川だろうな
三浦が何年か前に出した本は谷繁と相川の素晴らしさを語り尽くしてて
この二人へのラブレターみたいな感じだったな
その頃ちょうど高城が出てきた頃だったから
高城の野球に対する姿勢とか褒めてたけど最後に組めて良かったね
市川、谷繁、秋元、川崎、中嶋、中村、相川、小田嶋、鶴岡、新沼、野口、細山田、武山、黒羽根、高城、嶺井、戸柱
多すぎ