阪神ファン心の中で喜んでそう
まぁなんというか、なんとも思わんというか
今年引退多すぎてもはや関本くらいじゃ大して悲しみもなんもない
桧山の時より全然悲しくない
ほんまにやめてどないすんねん!
お疲れ
代打の神様探さなきゃ(使命感)
引退ラッシュやな
生え抜き三塁手がいなくならない?
>>33
鳥谷がおるし陽川がそのうち育つやろ
>>33
良太は出向で竜に行ってただけやで
もし鳥谷サードにする流れができたのかな
まぁしゃーないやろ
悲しくは全くないけど淋しくなるな
お疲れ様やで
悲しくはないけどな
お疲れ様やけど今年の成績がアレすぎて微妙な気持ち
打率だけみりゃあれやが出塁率はそうとういいからOPS的には結構見れる数字やね
上がってきてからはよく打ってたな
何にせよお疲れ様やな
体を張ったプレー嫌いやなかったで
復帰前ははよ引退しろって思ってたけど復帰したらなんかしらんがめっちゃ打つじゃん
あと1年ぐらいやってほしいけど、お疲れ様やで
ちょっと前はアレやったけど最近はよう打ってくれてたからなあ
満塁ホームランは凄かった、お疲れさん
良い辞め時やな、関本は賢いわ
解説者として需要有りまくりやろうし
阪神にまったく関係ないクセに阪神でタダ飯食うてる岩本勉、金村、村上たちを追放してくれ
“代打の神様”関本 今季限り引退 猛虎一筋19年
スポニチアネックス 9月29日(火)6時46分配信
さらば、セキ! 阪神・関本賢太郎内野手(37)が今季限りで現役引退することが28日、分かった。この日までに球団幹部に、意思を伝えたと見られる。阪神一筋19年で、晩年は“代打の神様”として活躍。虎党から愛された男が、静かにバットを置く。
虎党に愛された男が、甲子園に別れを告げる。“代打の神様”として無類の勝負強さを見せている関本が、今季限りで現役引退することが分かった。すでに球団幹部に意思を伝えたと見られ、近日中に、球団から正式発表される見込みだ。
今季は、ケガに泣かされたシーズンでもあった。6月2日には左脇腹を痛め出場選手登録を抹消。7月10日の巨人戦で1軍復帰を果たしたが、それから間もない8月6日の広島戦での試合前練習で今度は右背筋を痛めてしまった。10年ぶり優勝に対する強い気持ちとは裏腹に、容赦なく悲鳴をあげ続ける身体。シーズン2度目のリハビリ生活を強いられた時期から、引退の2文字がちらつくようになっていった。
9月8日に1軍復帰すると、そこから10打数6安打3打点と活躍。9回に同点打を放った23日の巨人戦に続き、前日27日の広島戦でも大瀬良から反撃の適時打を放ったばかりだった。試合終盤の出番が大半で好投手との対決ばかりの中、打率は・250、出塁率は・404をマーク。勝負強さだけでなく、持ち前の選球眼、守備固めに起用されるほどの堅実な守備もまだまだ健在だった。
ただ、ベテランと呼ばれるようになってからは、1年間1軍の戦力としてプレーすることを己に課してきた。手元にある数字は関係ない。それが引き際の美学だった。
長く険しいプロ野球人生を支えたのは、座右の銘である「不撓不屈(ふとうふくつ)」の精神だった。もっとも言葉の意味をかみしめたのは、右肩手術からの過酷なリハビリ期間。治療のため病院を渡り歩いたが、慢性的な痛みが治まることはなく、意を決して、01年5月に右肩関節唇損傷の縫合手術を受けた。当時の野球界での復帰例はダイエー(当時)の斉藤和巳投手ぐらいしかなく、チーム内でも初めて行われる手術だった。不安なく送球できるまでに費やした期間は実に2年。地獄を見たからこそ、目の前の一瞬、一瞬を大切に過ごしてきた。
大型内野手として期待され1996年のドラフト2位指名で天理高から阪神へ入団。プロ入りしてすぐにレベルの違いを痛感し、アマチュア時代は無縁だったバントの技術をひたすら磨いた。やがてバントの名手となり、08年6月17日の楽天戦では1試合4連続犠打というプロ野球タイ記録をマーク。05年5月から07年8月にかけては、二塁手連続守備機会無失策804というセ・リーグ記録を打ち立てるなど、究極のユーティリティープレーヤーとして、チームの勝利に貢献してきた。
この日はゴメスに代わり9回から一塁の守備につき、阿部の打球を軽快にさばいた。選手会長を歴任するなど、阪神一筋19年。引退は決意したが、生きざまを貫き、最後の最後まで全力を尽くす。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00000015-spnannex-base
お疲れ様やで