かつて巨人在籍時代の清原はスーパースターの座を確立していたが、球団にとって明らかな厄介者にもなっていた。
2000年ごろから清原は自らを中心として一軍選手数名をメンバーに加えた「清原軍団」を結成。
2002年オフに主砲の松井秀喜がヤンキースに移籍するとチーム内のタガが外れ、清原軍団は一気に幅を利かせるようになっていった。
この勢いに増長するかのようにして特に清原軍団で当時「ナンバー2」と呼ばれていた某選手は陰湿な“若手いびり”を行っていた。
それだけでなく当時の巨人番記者を恫喝(どうかつ)したり、威嚇(いかく)したりするなど
傍若無人な振る舞いをチームの内外で繰り返し、大ひんしゅくを買っていた。
球団関係者によれば「ある若手選手は遠征先の飲み屋で、
この某選手に奥さんからもらった大切なネックレスを引きちぎられたこともあった」というから耳を疑ってしまう。
この某選手の暴走を許してしまった最大の要因は、いまさら説明するまでもなく清原軍団を結成した「番長」の清原だ。
そういう存在であったにも関わらずファンからは「番長」と呼ばれて絶大な人気と熱烈な支持を得ていた。
これに歯止めをかけようとしたのが、2004年に巨人監督に就任した堀内恒夫氏(現参議院議員)だ。
2004年のシーズン終了後には堀内監督がムード悪化の元凶となっていた清原を構想外とし、他球団へのトレード放出を試みた。
だが契約を1年残している清原が球団事務所に直接乗り込んで「編成権は監督にあるのか、フロントにあるのか」と直談判。
事前に清原は翻意にしていた一部朝刊スポーツ紙に当時の滝鼻卓雄オーナーへ直談判することを裏情報として流しており、
その当日に一面掲載させる用意周到ぶりを見せていた。
大々的にアドバルーンをぶち上げることでファンの同情を買う狙いは、まんまと成功。
清原は堀内監督だけでなくフロント幹部も同調していたはずの自らのトレード話を急転直下で撤回させた。
こうしたゴタゴタがありながらも居残ったことで、その後の清原はますます巨人にとって手が付けられない「番長」となっていく。
200万円以上もするダイヤのピアスを両耳につけて試合に臨んだだけでなく、
「全身にタトゥーを入れたいんや」とも漏らして周囲をあ然とさせた。
2005年8月4日に広島市民球場で行われた広島戦では前代未聞の騒動も引き起こす。
試合前に打順が7番であることを当時の山本功児ヘッドコーチから伝えられた清原は納得せずに激怒。
ベンチでおもむろに携帯電話をかけながら、受話器の向こうの相手に
「今日な、7番やで! 7番! 阿部(慎之助捕手)より下や!」とこれ見よがしに記者の眼前で叫んだ。
そして試合では4回に本塁打を放ち、ベンチ前で迎えた堀内監督や選手、コーチの出迎えを“完全スルー”。
これが、あの「ハイタッチ拒否事件」の一部始終だ。ちなみに、この時の清原は球団広報を通じて「怒りの一発や!」とのコメントを口にしている。
チームは崩壊の一途をたどっていった。
いいようにして清原に引っ掻き回された巨人は2005年も3年連続でV逸し、8年ぶりのBクラスとなる5位へ転落。
堀内監督は就任から2シーズン、1度もリーグ優勝を果たせないまま辞任に追い込まれた。
そしてとうとう清原も同年限りで契約を更新されず、東京都内のホテルでその旨を告げられたのは当時の清武英利球団代表からだった。
球団内からは「清原をまったくコントロールできなかった当時のウチも確かに反省しなければいけない。
でも、あの悪夢の時代はもう二度と思い出したくないですよ。
それが今になって“清原の亡霊”に悩ませられるなんて……」との嘆き節も聞こえてくる。
容疑者となった清原は、10年前まで自身が頻発させていた悪夢を再び思い起こさせるかのように
古巣・巨人へまた多大なダメージを与えようとしている。
某選手って小田?
ナンバー2って誰や?
元木?
元木ちゃうの
元木か後藤かしらんけど
あいつら生え抜きだろ
普通に巨人の教育が悪いだけや
清原だってそいつらのことまで責任もてんやろ
少なくとも清原軍団がおらついて時期に入ってきた新人たちは従うしかなかったやろな
高橋尚成とか靴紐やられてたよな
小田は中日いったのはよかったな
>>119
薬物抜きにしても清原にカンチョーされたせいで4度も病院行ったらしいからな
内海は確か若手時代清原軍団と共に一軍にいたよな
当時のこと鮮明に覚えてるんちゃう?
由伸もいつまでも知らんぷりすんなや
こいつが当時の状況知らんわけがない
阿部由伸には当時を明かして欲しい
元木ってそもそもダイエーが嫌で浪人したんじゃないのか
清原いなくても●野郎だろ
>>73
別にそれは本人の権利やしええやん
当時のダイエーなんて不人気もええとこやったし
>>73
当時のダイエーは金満球団やったけど
いかんせんネームバリューとチームが弱かったからな
擁護はせんけど断るのもまあわかる
清原の事を番長ってアホみたいに持ち上げてたんは巨人とマスゴミなんやしどうでもええわ
日テレのおじゃマンボウとか言う番組で元木弄りまくってたよな
清原だってだんじりファイターとか訳わからん扱いしてたくせに
>>24
面白かったけど
あの頃の日テレは巨人をバラエティにすり寄りせすぎた感はあったな
だんじりファイター・拝啓石井浩郎です・三澤ですとか
巨人選手いじりが度をすぎてた
>>42
中日川上も星野監督とセットでいじりまくってたからセーフ
ほんとなぁ…
なんであんなしょーもないチンピラになっちゃったんやろな
まぁ堀内は言われてるほど●ちゃうやろ
バー堀内に選手が行かなかったのは清原の責任
こうして起きた「ハイタッチ拒否事件」
賭博は擁護しようないけど清原に関しては覚醒剤以前に必要以上に泥かけられまくってる感はある
そもそも社会人になるまでに
薬はダメだって普通に学ぶだろうし今まで教育してきた
親とか教師が無能、一番悪いのは清原本人だろ
捕手 阿部 慎之助 率.300(476-143) 26本 86打点
一塁手 清原 和博 率.212(321-68) 22本 52打点
二塁手 仁志 敏久 率.269(484-130) 11本 45打点
三塁手 小久保 裕紀 率.281(524-147) 34本 87打点
遊撃手 二岡 智宏 率.301(539-162) 16本 58打点
左翼手 清水 隆行 率.300(490-147) 15本 50打点
中堅手 ローズ 率.240(379-91) 27本 70打点
右翼手 高橋 由伸 率.298(325-97) 17本 41打点
矢野 謙次 率.281(203-57) 7本 14打点
2005年5位監督堀内これは7番は残当やわ
>>64
この打線でなんでBクラスやったんや
今よりは遥かにマシなはずやろ
>>80
今とはボールが違うわ
>>80
投手 工藤 公康 24登板 11勝9敗 防4.70
上原 浩治 27登板 9勝12敗 防3.31
高橋 尚成 27登板 8勝12敗 防4.47
マレン 22登板 6勝8敗 防6.22
内海 哲也 26登板 4勝9敗 防5.04
前田 幸長 50登板 0勝0敗 防4.65
シコースキー 70登板 7勝1敗 防3.29
久保 裕也 64登板 7勝4敗7セーブ 防3.43
林 昌範 54登板 2勝2敗18セーブ 防1.61
打高時代とはいえ防御率4点台オーバーが多すぎたの
率の低さに震える
阿部より下や!ってこの頃の阿部お前より打ちまくってただろ
>>121
2005あたりって阿部がブレイクし始めたくらいの年やんな
>>123
その頃はもうだいぶ地位確立してただろ 月間のHR記録に迫りそうだった月があった年が2004年だし
2005年
阿部慎之助 .300 26本 86打点
清原和博 .212 22本 52打点
清原「阿部より下や!」
あのころの巨人は片っ端から他球団のスターを強奪してたから被害者ヅラされても困る
メディア使って擁護できるからいいよな讀賣新聞は
巨人時代前半までは言う程人相は悪くないんだよな
肉体改造の当たりから顔も改造してんちゃうかと思うぐらい変わった
クスリの影響なんやろか
工藤あたりは止められんかったんかね
もう見捨ててたのかもしれんが
>>134
良い大人の外様同士がアレコレするとはとても思えん
まだ生え抜きとか新人若手ならともかく
1年でいいからファースト落合サード清原が実現してれば
いろいろ違ったかもな
何が起きていたのか? 清原和博容疑者が古巣・巨人を「震撼」させていた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160218-00000030-zdn_mkt-bus_all