しかしそれから一度も連絡はなかった。
心配して手紙を3回ほど出したが返事はなく、音信不通になった。余計なことをしたかなと思った。桑田(真澄)が「小姑のように言い続けたが、小言を言われるのに嫌気が差したのかも」と言っていたのと同じ気持ちだ。
その後、入れ墨の話を聞いた時は「なぜだ」と思った。礼儀正しい、言葉遣い一つとっても丁寧な男だったのに。思えば巨人でピアスをし始めた頃から、彼の中で何かが変わっていたのかもしれない。西武時代、私は清原を1年目から4番に据えた。彼は責任感の強い男で、私の期待に十分応えてくれた。この頃、私が清原を甘やかしすぎたと批判されていることは知っている。確かに私はグラウンド外では自由にさせていた。だがこれは社会人なのだから痛い目に遭うのも勉強で、それを乗り越えて立派な野球人になると考えたからだ。現に私は西武の他の選手たちにも同様に接し、彼らは立派な指導者になっている。なのになぜ、特にあの真面目だった清原が──。今はとにかく、「なぜだ」という気持ちしか浮かんでこない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160218-00000011-pseven-spo
嘘つくなよ
堤が無限カードで遊ばせてたのに
わかりやすい嘘
広岡野村「お前のせいだぞ」
堤が悪いってことにしたいんや
別に嘘はないやろ
森はわるくないな。チームは強かった
西武清原と巨人清原は別人だって言ってるやろ
>>11
西武清原あっての巨人清原だろ
>>11
西武時代から薬ぽい奇行あった記事出てたな
まあ元凶は森というよりは堤やしなぁ
当時は誰も逆らえんし
堤に逆らえなかったからだろw
まぁそう言ったとしても記事にはしてくれないだろうが
あの堤から清原を守ってやれというのは
酷なはなしやで
堤に甘やかされても試合では結果出し続けたのは凄いな
そのまま堕落してもおかしくないのに
>>31
なまじ才能がありすぎたんやろな
>>31
遊び歩いてもそれなりに打てる力があったんやからしゃーない
入団時で成長が止まってもうた
ノムさんは森が甘やかした言うてるしどっちなんや
>>193
俺は痛い目に合って成長していけばいいと思ってたっていうくらいやから基本放置やろ、森は
ケースバッティングはきっちりさせてたのはホンマやろけど、起用法とかは堤が気に入らんかったら(清原が堤に手をまわさせたのかもやが)動かすように指示されてたらしいからな
教育は人によって使い分けなあかんってことや
もともと素行に問題ない高卒選手ならこのやり方で全く問題なかったやろな
森さんは著書で清原のこと「礼儀正しい」ってほめてたな
>>5
江夏は男らしいと誉めてた
ナベツネお手紙のあたりから、強いもの勝てない相手に取り入るのが上手いんやな
長嶋の下では大人しかったじゃん
自分より上だけは表面上大人しいだけだろ
>>47
堀内「俺も圧倒的に清原より上だぞ」
清原って明らかに上に媚びて下に威張り散らすタイプだろ?
上から見りゃ礼儀正しくみえるんじゃね
>>54
基本目上には噛み付かないからな(堀内と落合除く)
>>54
なお立浪には
>>98
桑田、立浪は先輩、後輩関係なのになw
ドカベンの清原ホント好き
清原在籍中山田が4番打ったことある?
>>133
清原が自分から四番を譲ってもええと思った打者は
松井秀喜と山田太郎だけやからな
>>133
清原いなくなった後でもしばらくは三番
清原の相談とは口利きしてくれってことだろ
隠居状態の森に頼んでもしょうがないけどな
清原「野球の仕事紹介してくれや」
森「真摯に野球と向き合え」
清原「なんやこいつ・・・ワイの言いたいことが伝わってへん・・・アカン」
>>19
ハワイで隠居中の人間に仕事くれって言ってもなあ
森に使ってもらえなかったデーブでさえ監督になったというのに
どの球団に行けば今頃清原監督やれてたんやろな
>>103
真面目にやってたらそらもう引く手あまたよ
というか桁違いのレジェンドになれてたやろ
それでも生え抜きスター監督主義の巨人でやることだけは叶わなかったやろけどな
それが錆びたナイフの正体や
>>125
実際西武は2軍監督オファー出したらしいけどな
清原が1軍監督やないとやらんわ!言うて破談になった
>>136
そういや何か聞いたことあるな
先輩受けは良かったもんな西武清原は
伊東もナベQもやたらかわいがってた上、OBみんなよそで仕事しててオファーできる人間スカスカやもんな
>>160
ナベQとか伊東は清原本人曰く当時めちゃくちゃ怖かったから舎弟やってたらしい
特にナベQは煽ってきたトラックの運ちゃん引きずり降ろして土下座させてたのを見て
「ヒェッ・・・この人に逆らったら殺されるわ・・・」ってビビったとか
星野みたいに打倒巨人に切り替えてやっていけば良かったのになぁ
いつまでも巨人行きたい巨人行きたいってアホか
解説ドタキャンしまくってたくせに野球の仕事したかったのか(呆れ)
>>76
儲かってたときは端の仕事なんかポイー
切羽つまってきて仕事ください言うときは昔のやらかしなんかは完全に忘れてるという典型的なダメ人間パターン
まあ嫁に頭下げてこい言われただけかもしれんけどな
ちょうど嫁が復帰のため奔走してたという時期と重なる
WBCの解説してたのに途中で来なくなったけどあれってサボりか?
>>87
らしいで
あれが解説に呼ばれなくなった原因のひとつらしい
あとはAD殴ったとか
野球関係者は薬のこと知ってたから野球関連の仕事の話こなかったんやろなあ
>>191
ちゃうで
引退後にこんな酷い態度で仕事受け取ったからや
清原和博氏が現役選手を引退して解説者になった1年目か2年目だったろうか、夏の高校野球観戦記を書くという話が、私が仕事をしている週刊誌編集部にきた。覚醒剤の噂などみじんも出てないころで、
「清原は試合開始で甲子園でなるあのサイレンをすごく楽しみにしているんですよ。そこが自分の原点だったので」
という関係者の売り込みだったと聞く。
とりあえず甲子園球場で編集者とライターの代表で私が清原氏に挨拶することになった。ロープを張った関係者専用の観戦席に清原氏は飛び込むように入ってくると、誰ともなにも話さず、椅子に座り込んで携帯電話のゲームをやり始めた。グラウンドに全く目もくれず、大きな身体を丸めてゲームをやっている姿と、それを黙って取り囲んでいる関係者の姿が異様でよく覚えている。
清原氏が楽しみというサイレンが鳴っても、まだゲームを続けていた。私は他の取材もあり、アホらしくなって「俺、帰るわ」と編集者に言い残して挨拶せずに自分の取材席に戻った。もうあの人は野球に興味ないんじゃないか、と思った。
私が憤りをもったのは、ある野球解説者の姿が頭にあったからだった。
江夏豊さんである。99年の夏の甲子園に観戦記を書くために来た江夏さんは、記者席で「商売道具持ってきたで」と鞄からスコアブックを取りだした。それからベテランの野球記者が入れ替わり立ち替わり江夏さんのところに挨拶にきた。江夏さんが出ている雑誌を持ってきて、「サインお願いします」という記者もいた。いや、それどころか、スポーツ店で買ってきたばかりのグラブを差し出してサインをねだった記者もいた。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160207-00000006-pseven-spo
>>197
江夏さすがやな
>>228
ノムと古葉の元で人生観変わった言うてたな
堤って今で言うと三木谷みたいな感じやったん?
>>111
相手にならないやろそんな小物
>>111
七光りかつ高圧的な孫正義って感じや
>>111
ナベツネでも太刀打ちできんヤツやぞ
>>111
当時世界一の金持ちやであいつ
堤のパッパは極悪で有名で、福本信行のマンガに悪役のモデルで出てくる
>>111
ナベツネと孫と宮内を足して悪い部分だけ抽出したら堤が完成する
>>138
女優愛人成分が足りないので、バーニング周防も足したい
>>111
堤はそもそも表に出てきてないからな
ジャンルが違う
堤の全盛期時って資産2000兆円やで
>>123
国家予算やんけ
堤は野球興味なかったしあいつだけだったらそこまで大事じゃなかったかもしれんけど
あれに根本がついてたのがホンマ最悪
西武「うちに来てくれや」
新人「内定もらってるし社会人進むので無理です」
西武「ほーん」
西武「内定先を買収して西武グループにしたぞ。お前の内定取り消し!」
新人「ファッ!?」
これくらいやりかねないのが当時の西武グループというか堤根本
あの頃の西武って触れちゃいけないようなヤバイ雰囲気あったよな
当時ネットが一般化してたらどうなってたか
西武時代もクスリやってたクズだともうバレたけど
よく西武時代では好青年のフリできてたな
>>167
堤がイメージ壊す様な不祥事握り潰してただけやし
そもそも野球界に聖人なんて数えるくらいしかおらんからな
基本的にみんなまともじゃない
>>235
聖人ならつぶされてるわ
グラウンドにくるヤクザにナシつけたり、追い返したりするのも監督やコーチの仕事やった時代もあるからな
堤はもう清原可愛くないのかな
昔は可愛がってやってたんやし仕事紹介してやれなかったのかな
>>207
西武から逃げ出した奴だし堤も一回刑務所ぶちこまれて権力もやる気も無くなってるから
森の言う通り行動できてればそれこそ江夏のように復権できたやろうに
5年前に仕事なかったのも清原の態度が悪過ぎたせいやけど
高校時代でのエピソードは、中森明菜のファンだった清原が風呂場で
清原「なあ桑田、このシャンプーめっちゃいい匂いするやろ?明菜ちゃんがCMやってるシャンプーなんや」
と嬉しそうに言っていたというのが
いま思うと切なくなる